Thursday, October 1, 2009

<200X年夏の選挙の場合>

 さて最後に本章の作成の動機付けとなった近頃の選挙(200X年夏)について少しく考えてみようと思う。まず少々あのY政解散選挙と首相が銘打った首相個人の衆院解散意図とK首相権限による意志決定のプロセスを考察してから、その選挙でJ民党へ要れた有権者の内的理由をカテゴライズして考えてみようと思う。
 この選挙は特殊な選挙であった。私見によれば戦後日本の政治思想史上特異な出来事としてある与党幹部だけによって病に倒れた首相の意図として幹部の思惑で発言不能状態であった首相の発言を捏造して、それ以降の政治的展開を演出した(N中氏、A木氏が中心になって)時が第一回目の国民に対するクーデターであるなら200X年夏の総選挙はまさに国会を相手に首相一人が自己権力行使という裁量によって起こした国会に対するクーデターであったと言えよう。ただ国会の発言と国民の真意との齟齬を直観した首相一人の自己裁量は、それ自体は国民の支持を得たが、その選挙制度的な矛盾から投票者の投票打ち明けとは幾分齟齬を来たし(それは今回の政権交代選挙においても垣間見られた。つまり小選挙区制度自体の矛盾が最初に表出したのが例のY政解散選挙だったわけだ)、絶対的多数の与党勝利によって独裁的色彩の強い内閣とその後の政治的展開は戦後政治史上稀に見る出来事であったと記憶されてよいと思われる。その時を回想しながら、K泉首相の立場とその決断を国民がどのように受け取ったかを機軸に考えてみようと思う。
 K泉首相は今の政局の困難さを乗り切れるのは自分をおいていない、ということを当時直観的に感じていたのだ。それを乗り切るのがかなりな程度での政治的手腕と指導力を要することを熟知していた。そこで長年の野望であったY政民営化が、政治課題としてトップ・プライオリティーであるかどうかを国民に突きつけた。それも自ら「Y政解散」と銘打って。このマスメディア、とりわけ多く国民が見たテレビの首相発言は大きな影響力を国民の深層意識に植え付けた。しかもこの時首相はJ民党+K明党連立与党が過半数を取れなければ自ら退陣する、という条件を突き付けた。
 仮にあの時J民党(及びK明党連立)が過半数を取れずにK泉首相が退陣していたとしよう。その時のことを多くの国民が想像した。それは首相本人によるもしもの時の退陣宣言故のことである。そうなった暁には当然のことながら、当時のM主党党首O田氏が首相となり得るし、またそうではなくM主党もまたJ民党同様過半数が取れなければ政局が混乱するという可能性も十分に想定し得た。有権者中選挙で何らかの意思表示をしようと思う者は誰しももし自分がM主党へ票を入れるとしよう、そのように仮定した場合、しかしその際に想定されたのはそれまでの政治的展開から察せられる予想においてその結果M主党が過半数を取れる可能性は極少ないと感じられたのだ。その判断によって帰結される想定結果は多くの国民にとっては、両党とも過半数を取れずに宙ぶらりんになるという状況であった。M主党が過半数を取る可能性の方がより宙ぶらりんになる可能性よりも大きければM主党に投票する選挙民が多かったに違いない。しかし事実はそうではなかった。明らかにそれまでのマスメディアの報道の仕方、注目の仕方からやはりM主党が過半数を取る可能性は仮に自分がM主党に入れた場合においても宙ぶらりんになる可能性よりも小さいということが誰の目にも明白であったのだ。そういった想定上の思惑から多くの国民は敢えてM主党に投票することで政治的混乱を招くことに至らせるなら、いっそJ民党与党に投票しようという行動へと直結させたのだと思われる。有権者中投票意志保持者の中でも取りわけ全体的バランスを取るために敢えてM主党が実権を握る可能性が小さいと思われるのに敢えてそこに投票しようということはスケプティカル・タイプが取る決断であったことであろう。しかし多くは政治的混乱を回避させるためにK泉首相に一票を投じようという決断を為したのだと思われる。少なくとも首相による日頃のメディアの前での立ち居振る舞いのみに魅せられる主婦や若者を中心とする贔屓筋以外のビジネスマンにおいては。
 実は首相の側からは、そういう決断を多くの国民がするのではないかという可能性に一か八か自己の政治生命を賭けたのだった。その結果として与党大勝したことは首相の面子から言えば上々の出来であったが、実際それはやはり彼にとっては賭けであったことに変わりはない。結局K泉J民党は歴史的大勝利収めたのであった。しかしそのことが同時にその後に続く暗黙の首相一人の意図への信頼から、党全体の統一感には支障を来たし、しかもJ民党の体質自体は一向に変わらないという事実が残存していたので、結局A生首相までのポストK泉総裁における三代の継続が、総選挙を経ないままで圧倒的多数の議員獲得数を通した一党独裁と、期せずして起こった去年のリーマンショック以来の世界同時不況の煽りを食らって結局J民党に対する一度退陣して貰いたいという異議申し立てによってM主党へと政権交代となったわけである。
 結果論的に言えば、首相はあの参院Y政民営化否決の際にテレビのカメラの前で「国民に聞いてみたいのです。今回の解散は言わばY政解散です。もし与党が過半数を取れなければ私は退陣します。」と述べた時、首相は事実上国民の多くを(少なくともあの放送を見ていた人々に対しては)脅したのである。
 何故敢えてそうしたのか?それは彼が自分に拮抗し得る(選挙後に首相になり得る)大物候補があの時点ではいないということを薄々感じ取っていたからである。
 結論としてはこう言える。つまり積極的投票者+消極的投票者(マスメディアの露出度から候補者を選択するという)数が、M主党よりもJ民党勝利に直結し得るケースにおいて少々大きかったということによって、結果J民党の大勝利(K明党を除外しても尚)へと導いた。サラリーマンの比率中更に積極的J民党支持者は決してさほど多くはない。寧ろ政策的にはサラリーマンの半数はJ民党、残り半数はM主党に入れたということさえ出来る。しかしそれ以外の多くの票はことに首相の政策からではなく、メディア露出度と立ち居振る舞い(それもまた大きな選択基準であり、重要である)から選択したというケース(あの選挙は多く今まで選挙に興味がなかったのに投票した国民が多かった。しかし逆にそれだけに選挙意義に懐疑心を抱く人々の声は掻き消された感はある)が多かったと思われる。
 ここで結論的に言えることとは、あのJ民党の歴史的大勝利は現象論的には票と選挙制度から導き出される国民の支持を獲得するJ民党の作戦が功を奏したのだが、政策支持的な内実的にはM主党と五分五分の支持意識によるものであり、そこに差をつけたのはマスメディア戦略(首相、与党、マスメディア自体の連帯による)そのものであった、ということも可能である。そしてその誘引材料となったものとは、首相退陣の可能性の回避意識であった。政治的混乱が容易に誰の目にも察せられたのである。それ以上に国民にそういう判断をさせたことが、あの時点では首相に相応しい人物がK泉首相以外にはこれと言っていなかったということが大きく起因している。そして首相本人もその可能性に賭けたのだ。それに加え、敢えてJ民党に一撃を加えM主党に花を持たせるほどの魅力がM主党にはそれほどなかったと大多数が思ってしまった(それはJ民党に入れたサラリーマンにも多かったであろう)のである。
 しかし予想以上の与党大勝利となってしまったことに最も大きな驚愕を味わったのはM主党にこれといった魅力がないという理由でJ民党に入れたサラリーマンであったかも知れない。それはある意味では小選挙区制度という現在のシステムの為せる業であったし、少なくともサラリーマンの中では積極的J民党支持者は恐らくそれほど多くはなかったであろう。しかも彼らにとってK泉首相の指導力に投票したのであって、決してK泉チルドレンに対して投票したのではなかったのである。結果論的に多くのK泉チルドレンを抱えることとなったJ民党執行部及びその後に組閣された内閣においては、そのような自制的精神を忘れずにいて欲しいと誰しもが思ったことであろう。どのような反対勢力をも撥ね退けるだけの絶対多数を議席数の上で獲得したのだから。あの時J民党に投票した人の中にそういう懸念を抱いた人は多い筈であろう。我々の多くはただ単にK泉首相本人の自己裁量による脅しに対してもう一度首相の力量に賭けたに過ぎないのである。
 だからこそ今回の総選挙において政権交代をなし得たとしてもその議員獲得数が実に戦後最大の309議席となったという事実は、あのY政解散選挙後のK泉独裁体制以降にJ民党の首相盥回し的無策と、それを揶揄してA倍首相さえ退陣に追い込んだ選挙の神様の異名を取るO沢氏による代表時代の脅し的政治手法である。つまり今回もまたM主党に入れる以外のいい選択肢が一切なかったといことに起因するのだ。
 しかし再び四年前の現実に戻ろう。
 今までの200X年夏の歴史的大勝利という事実を手掛かりに選挙分析から我々は次のようなカテゴリーを得ることが可能である。J民党が議席数において絶対的多数を占めたこととなったあの時のJ民党投票選択をした有権者中の投票理由を分析すると8通りのものが考えられる。これは勝利を得た側における投票者の内的理由のカテゴリーに他ならない。
 
200X年夏の衆議院総選挙でJ民党へ投票する人の理由カテゴリー

A、 J民党が贔屓でその候補へ投票する
B、 J民党の政策に共鳴しその候補へ投票する
C、 首相の掲げる政策に共鳴し投票する
D、 首相の人物的な評価において彼を贔屓で投票する
E、 M主党よりJ民党が、どちらかと言えばよいと思われるから投票する。(無記名を割けるために)
F、 M主党に入れて政治的混乱を喚起することを回避させるためにJ民党候補へ要れる。
(J民党が勝利すると解かっていて敢えてM主党へ投票する人よりはやや積極的J民党未来期待論者であるものの、AやBほどその党への支持心は少ないか、あるいはM主党未来政権交代予見論者)
G、 ひょっとしてJ民党が敗北する可能性のみを避けたいがためにJ民党へと入れる
H、 M主党にだけは政権移譲させたくはないのでJ民党へ要れる

 ここではFとGは多少ニュアンスが違うものの、一つと見做してもよいと思われるし、HもF、Gに近接しているが、ややM主党嫌悪の情が優先するケースである。
 断っておくがここで党や首相を贔屓という選択理由を挙げたのは政策以上にマスメディアの露出が齎す贔屓筋であるところのある種の非政治的選択理由である。
 上に掲げた理由の内ではAとD(とりわけD)の場合、その投票理由が政策から来たものではないから、必然的にマスメディアを通した人物像としての好感度に起因するものであり、選挙の投票理由としては例えば友人を選ぶ際のバロメーターにも共通するものの、友人の選択が上記の全ての理由が綜合的な判断として考えられるが、結局政治家の場合実際に面識ある他者に対して抱く感想とは別個のテレビを通したイメージでしか判断出来ない(マスメディアが取り上げる人物<それは別に政治家に限らず>に対しては友人と同様な意味では直に面識を持つことは不可能である故に)わけだから、繰り返し、繰り返しマスメディア、ことにテレビで放映される人物に対する(それはある程度その人物のテレビ写りがよいというイメージ性に依拠している)好感度がそうではない人物の好感度よりも勝ってゆくという側面が大きい。そしてそういった人物はそうでない人物よりもより国民的人気を獲得し、そのイメージの鮮明さから認知度の度合いが増し、よりそうではない候補者よりも選択基準において有利になるものと思われる。この種の選択基準はアメリカの大統領選におけるニクソンと相対したケネディーにおいても、カーターと相対したレーガンにおいても立証済みである。それはイメージ戦略的な意味でのパフォーマンスとワン・フレーズ・ポリティックスと俗に言われる弁舌の巧みさとも大いに考えられるのだ。またこの種のイメージ像的判断は上記のHの判断にも左右するのである。
 しかしその四年前の事実が逆にそういった現実自体への辟易をも生み、それが今回の政権交代へと導いて行ったという面も否めない。
 しかし四年前のような繰り返し繰り返しマスメディアに登場する人物への贔屓筋的な人気獲得が政治には実はマスメディア的な手段(テレビ等の)発生以前の歴史においても選択基準採用性に多大の貢献をしていたということは「それもまた政治の本質である」ことを証明している。そういう政治家の魅力に対する支持心は芸能界同様のポピュリズムと同様なものとして我々の日常に見出すことが可能である。よってO沢ガールズと呼ばれる今回の選挙によるマンモス数的議員たちの将来も、あるいは今回敗れ去った大勢のK泉チルドレンたちと同じ運命を辿る可能性がかなり大である。
 勿論そういったカリスマ的な指導力を齎す要素は政治家の資質においても不可欠のものであるが、国民の側が政治家に対して持つべき支持心は決してそれだけではない。ある時にはそういうイメージ像を一切無視して投票するべき候補を見極めねばならないこともある。そういう意味では圧倒的大多数的な議席数という現実にはいささか警戒して然るべきである、という観点も必要ではなかろうか?スケプティカルな視点による選択基準はいつの時代でもマイノリティーであるとも言える。しかしこういった少数の意見がある意味では大多数の議席数を誇る与党的な専制的独裁性への抑制力ともなり得るという判断は決して忌み嫌うべき反体制の物の見方ではないと思われる。
 だからこそ四年前の丁度反転的立場となった与党のM主党にしても今後野党から色々と揶揄される立場となったのだから、いつまでも政権交代の蜜月に浸ってもいられないであろう。特にMんなの党とか新党N本などの存在も決して馬鹿には出来ないものとなっていくことだろう。
 因みに今回の総選挙でも先ほどの八つの理由が丁度M主党とJ民党の立場が入れ替わることとなってしまったことは言うまでもないだろう。

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