Monday, September 28, 2009

<心的な決心に至るまでのプロセス>

 さて以上のような分析を下に今度はそういう誰それに入れるという行為を決するまでの心的なプロセスにおける分析を施してみようと思う。
決心というもののこの種の多層性を産出するのは選別基準と意志決定システムの多様性に拠るところが大きいが、それでも尚棄権をも含めて最終的には何らかの決断がなされるということは、あらゆる命題的態度の合理化と綜合判断であるが、意外と最終的にその決断と行為を誘引するものとは、慣習性(昔の人ならこう判断した筈であるという)かも知れない。その慣習性とは幾分コード化された部分と、自己経験によるあらゆる出来事に関する認識と個々のセンスデータとの間での合理的判断に他ならない。勿論その際ごく一般的に取り払われるのは誠実性であり、良心的判断(投票率の低下を阻止したいとかの)というものであろう。(第三章<脆弱な「個」と群集心理>を参照されたし。)
 ここでちょっと纏めてみよう。まずA、B、C、Dの候補がいて一人記名投票する場合の選択へと至るプロセスの初期段階には次のようなものが考えられる。(但しここではAに投票することを決めた場合とする。それ以外の候補に要れる場合でも同様の事態が想定される。)

初期段階心的カテゴリー

①積極的に投票したいと思われる候補が一人(ないし一人以上)いる。(積極的支持)

②積極的に投票したいと思われる候補は一人もいないが、さりとてその中から誰か一人投票しなければならないとしたら一人選ぶことはかろうじて出来る。(消極的支持)

③積極的に投票したいと思われる候補は一人もいないどころか全員決して投票したくない。

 我々はこの三つの心的様相をいずれかに近い状態として意識出来るのではなかろうか?勿論①の場合候補者当人あるいは所属する党かいずれかに共感を抱き選択するのだと思われる。②の場合A、B、C、Dの中の特定の一人は自分が所属する党の人間であり、投票が半ば好むと好まざるとにかかわらず、必須の行為であるか、さもなくば政治的参加に対する義務遂行的意識を有しているかということも含まれると思われる。当然それ以外は特別な義務意識はないものの、と言って政治的決断として不参加、つまり具体的には棄権する必要性も感じず、一応慣習的に選挙があるから、投票しようという判断が大半であろうと思われる。
 さて初期段階においてこのような候補者に対する認知を得、それ以降その認知を手掛かりに最終段階において投票日においてなされる決心は次のようなものが考えられよう(全てAならA候補に入れる場合を考えている。また政治不参加を常にモットーとしてもり一切の選挙に行かないことにしているタイプがここでは除外されている)。
 
結果論的決心行為カテゴリー

①迷わず、ある候補に入れる。(政治参加義務履行型)or(特定候補贔屓型)

②A、B、C、D、全候補をゆっくり比較検討し、ようやく事前に一人選択し、入れる。
(投票行為必須認識選択型)or(政治参加義務遂行型)

③A投票しない。(考えた末に)(政治不参加表明型)or(選挙意義懐疑型)
 B投票場に行き敢えて無記名投票(無効票)をする。(政治参加義務遂行型)

 さて、①と②は結果論的には同一タイプの行為であり、同一候補を投票すれば同一トークンの行為となる。
 ①、②、③Bは投票するという意味では同一タイプの行為であり、参加表明型であることにおいては同一であろう。しかし中では③Bが無記名投票であるので、「全候補拒否型」であるか、さもなくば「選挙意義懐疑意志を政治参加により表明型」であると言えよう。③のAのみが政治不参加表明型であるが、そもそも投票に行かないのだから、無視型であるとも言える(表明するなら無効票を提出することがある意味では意志的表明である故)。
 しかしここで問題にしているのはあくまで投票へ最初は行こうと思ってそれなりの思考を持った有権者の投票行為の決心のタイプなのであって、一切の政治不参加をモットーとするタイプは繰り返すが除外されている。その意味では結局投票しなかったケースは後で述べる不測の事態でない限り、投票に行くことが可能であったならば、ある種の選挙意義や候補者支持に関する限りプロテストとなり得る。
 しかしこのカテゴリーにおいて問題となるのは①、③A、③Bではない。この三つは結果論的には同一タイプの決心行為である。尤もそれはあくまで結果論的な物の見方であり、③Bは②に近い心的様相の末に止むに止まれぬ決心行為であるとも言い得る。それはある意味では心変わりという観点からは③Aについても当て嵌まる。その日(投票日)まで投票に行く積もりでいたのに、急用が出来て投票出来ない場合のみでなく、何らかの理由で突如政治不参加表明する場合(逡巡の末に結局無記名投票を避けたく、それをするくらいなら投票自体を棄権するということが考えられる)もあり得るから。ともあれどの候補に入れるかを初期段階から二転三転させることの末に決心する②を中心とする逡巡タイプの決心行為というものが実は最も大きくクローズアップされねばならない、ということなのである(勿論②のタイプの結果的行為が③A、③Bとなるとことは十分考えられる。それはかろうじてどの候補を入れるかは一応判断出来る前の初期段階カテゴリーの②よりも苦悩型である)。
 これらのことを踏まえて新たに①、②、③の初期段階以降の展開において次のようなフェイズが考えられる(A以外の全ての候補に対して当て嵌まる)。

全体論的決心行為カテゴリー

①Ⅰ迷わずある候補に入れる。

 Ⅱ上の積もりであったが、不測の事態(自身の病気や仕事の事情、身内の不幸や病気)で、結果論的決心行為カテゴリー③Aを選択する。
Ⅲ逡巡の末に結局結果論的決心行為カテゴリーの③Bを選択する。

②ⅠAかBかCがDか、いずれか一者を選択する。

 Ⅱ最初は①だったのに、ある理由(一つかそれ以上の)から「心変わり」して、別候補に入れる(これは段階的な見方によっては①に入ったり、①Ⅲに属したりすることも可能である)。

③Ⅰ最初からそう決め込んで結果論的決心行為カテゴリー③Aを選択する。

Ⅱ最初からそう決め込んで結果論的決心行為カテゴリー③Bを選択する。

Ⅲ最初②の積もりだったが、最終段階において結果論的決心行為カテゴリー③Aを選択する。

Ⅳ最初②の積もりだったが、最終段階において結果論的決心行為カテゴリー③Bを選択する。


ここで少なくとも投票する候補に対する感情が好意あるものであるか、ただ単に政策その他の政治的未来予測による決断であるかの相違を無視すれば、迷わず投票する(ある候補A、B、C、Dいずれかに)という行為は、<①Ⅰ、②Ⅰ、②Ⅱ>のいずれかとなり、投票するが、いずれの候補とも記名しないものは<③Ⅱ、①Ⅲ③Ⅳ>のいずれかとなり、投票しない、つまり投票所そのものに足を運ばないというものは<①Ⅱ、③Ⅰ、③Ⅲ>のいずれかとなり、これらを結果論的カテゴリーとして記すと次のようになる。(つまり結果から理由、原因を遡行する。)

理由及び原因遡行的カテゴリー

A、投票しない
Ⅰ不測の予定変更(上図①Ⅱ)
Ⅱ意志的不遂行(上図③Ⅰ)
Ⅲ心変わり不遂行(③Ⅲ)

B、投票する
Ⅰ無記名(上図①Ⅲ、③Ⅱ、③Ⅳ)
Ⅱ記名(上図①Ⅰ、②Ⅰ、②Ⅱ)

最後にある候補を選択する理由に関して考えてみよう。
それを大まかに分類すると下のようになる。

ある候補に対する選択理由カテゴリー

(1) 候補者の持つ政策や、それを生み出す政治的理念(具体政治判断)
(2) 綜合的に判断出来る政治的能力、政治力(過去事例に基づく綜合的政治判断)
(3) 人柄、人格、職務に対する誠実さ、あるいはそれを確信させる人間的魅力(性格的<非政治的>判断)

(1)をベースに候補を選択する有権者は差し迫った政治的行動に対する要求を優先させ、(つまり現状打破要求、えてして今まで大きな政治的能力を発揮しなかった候補にチャンスを与えよう<勿論その能力と可能性を信じて>ということが多いうように思われる)(3)は現状維持あるいは現状の政治的方向性の肯定の下に投票する理由がより多く存在するということであり、(2)は(1)ほどの変更要求はないが、と言って現状維持要求的であっても、政治的方向性の流れを一時的に変えるために敢えて最新のスタンスではないものを再利用しようという意図が強い場合が多いと思われる。つまり既に経験と実績が認知された候補者に適用されることが多いと思われる)勿論(1)もまた新人や今まで目立たなく未知数の政治家だけではなく、ベテランである場合もあるし、(今までの革新的な政治を続行して欲しいという)(2)もまた新人に適用される場合もあり得る。その場合はあくまで過去事例と言っても極最近のものに限られるが。

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