Monday, January 25, 2010

時間・空間・偶然・必然_意識という名のミーム<科学で切る哲学、哲学で切る科学>5、盲目の信頼と全能感

 人間は幾つになっても、自分だけは特別だ、という観念から抜けきることなど出来はしない。そして体はもう十に老いてきているのに、若い頃の気持ちだけは変わらず、無理をして体を痛めたりするし、要するに「自分だけは大丈夫だ。」というごまかしの気持ちに支配されている。つまり死ぬということがその直前にならなければ、決して意識において主要な部分を占めないそういう生き物なのである。またそれだからこそのほほんと生きていけるのであるが。つまり私たちの脳はいつからかは知らないが、何らかの切迫感を感じずに済むような形で「自分だけは大丈夫だ。」という気持ちを持ちながら、最終的な死というものを意識しないで済むように脳が命令しているようである。
 生物学者ならこのような全能感を進化による獲得能力であると捉えるかも知れないが、この全能感というものは大人になればなるほど付帯してくるものでもあるようだ。幼児的全能感とも呼ばれるこの気持ちとは、例えばあらゆる専門職に就く人々の気持ちを支配している。
 例えば営業畑の人間は商品開発部とか総務部といった会社の部署のどの人間よりも自分たちが一番社を動かしていると考えているようだし、政治家は官僚だけが社会を動かしているという気持ちを抱き、事実そういう面もあるが、彼らだってある意味では政治が一番経済社会のリーダーシップを取るべきであると感じ取っている。あるいは医師には色々な専門があるが、どの専門分野の人間でも自分たちがいなかったなら、世の中は混乱すると信じて疑わない。科学者の世界では細分化が進んでいるけれども、どの専門分野の人々も自分たちのする専門が一番正しく、どうして国はもっと自分たちにお金を出してくれないのかといつも不満たらたら洩らすことを厭わない。
 哲学者は哲学者で一番自分たちが公平な目で社会を観察していると本気で思い込んでいるし、文学者や芸術家たちは自分たちがいなかったなら、社会や世界は間違った方向へと突き進んでいくに違いないと真剣に考えている。しかしそんなことは恐らくない。今生きている哲学者たちが全くいなくなっても、それ以外の職業の中からそれに類する思考の人々は必ず出現するし、今いる芸術家が全員いなくなっても同じことだし、全ての政治家がいなくなっても、彼らの代わりは幾らでもいるし、医師も官僚の同じことである。要するにそういう風に「もし自分たちがいなかったなら世の中は困る」とそう勝手に思い込みそれを気休めにあらゆる困難なそして不可避な命題、例えば死、例えば人類の絶滅ということを回避して誤魔化して生きているという風にも言えるのだ。まあそう言うことそのものが哲学者的、中島義道氏的であるという指摘もあるかと思うが、そんな深刻にならなくても、恐らく全ての職業、立場の人間は自分を中心にしてしか全てを把握、認識することが出来ないのだから、そういう楽観的な把握、認識の仕方が実は一番落とし穴であるという意識だけは捨てずに生きていくということが極めて重要ではないのだろうか?
 そしてそのように「自分だけは大丈夫である」という変に吹っ切った考えに支配されていること、そういう状態を維持することが一番生きていく上で障害がないという感覚こそ最も我々人類が誰からともなく獲得したものではないだろうか?
 このように誰からともなく伝えられるような感覚、思いの状態を、心理学者のスーザン・ブラックモアはその言葉の創作者であるリチャード・ドーキンスから拝借して創作者の満足を得る形で体系化した。その言葉こそミームである。ミームはまるでウィルスのようの増殖して人間から人間へ、人間が書く本からそれを読む人間、それに基づいて新たに本を書く人によって更に教え伝えられてゆくものである。本以外にも看板、コンピューター、あらゆるメディアによって伝えられていく。あるいは服装のモードや建築の様式、芸術の形式、法体系といった全てがこのミームに該当する   このことは3節で私が述べたように、もし嫌な奴は集団内にしてそいつを殺したとしても、集団が多ければ多いほどまたその生き残った奴の中に気に入らない奴はいて、そういう風に繰り返してゆくと、次第に残された成員は三人になり、そしてその中で他者である二人の中でひとりが気に入らないから殺すとすると、最後には自分ともう一人だけになる。しかしそいつが嫌で殺したら、集団内には自分一人だけになる。そういう風に考えれば逆に政治家という職業が嫌いだからと言って政治家全員を殺したとしても尚、生き残った他の職業に就く人々の中から政治向きの人間が現われ、また政治家という職業が復活するという意味で、仮に「俺たちのような職業だけが生き残れば社会は大丈夫だ。」と高を括るような楽観的な全能感を持つ(こういう職業的プライドはインテリ、エリートにより顕著であるが)としても、恐らく自分たちだけが社会を支えているという幻想そのものは潰え易い。もし銀行の頭取が突然死したとしても、その銀行に対する信頼が世間から厚ければ厚いほど恐らくその銀行の経営そのものはその頭取の死をものともせずに以前のまま何らかの形で存続してゆくことだろう。勿論人事面では多少の突発的は変更をきたすことがあっても尚、社会全体に与える影響というものは然程大きなものではないであろう。そういう意味ではブラックモアの主張するミームの波及力というものは、ある意味では一人の人間の存在というレヴェルから言えば空しいくらいに無時間化された自然の意図であるとさえ言えよう。
 例えば今言った銀行の頭取の例で言えば、会社や組織に長年尽くしてきた人物がリタイヤすることとなり、それまでの人生の生き甲斐を急激に喪失して、老後の人生の過ごし方そのものがどうあるべきか思い至らなくなり、次第に社会での疎外感を感じつつ寂しい老後を送ることになるような意味で、人間の生き甲斐とか人生の幸福感情といったものも、一旦それまで中心だった仕事中心の生活が一挙に失われると途端に路頭に迷うというようなことが十分人間人生において考えられるところのことである。
 しかしミームというものをそのような人生のあるべき本来の姿と言うような哲学的命題にまで遡及するようなタイプの考えをも含有させ、全能感というオプシミスティックな処世訓として得るものは全く逆のものとして考え合わせると、ミームというもののあり方は多様を極めるとも言い得る。
 生物学者の長谷川真理子氏は「科学の目 科学のこころ」(岩波新書)で次のように述べている。少し長いが重要だ思われるので節全部を掲載しておこう。


ハンディキャップの原理

 交差点の赤信号で車が止まるのはなぜかと聞いたら、それは規則だからという答えが返ってくるだろう。確かにその通り、そういう取り決めになっているのだ。
 しかし、「そういう取り決めになっている」ということと、「実際にその取り決めが守られている」ということは別だ。「赤信号は止まる」という取り決めが守られているのは、そうしなければ、本当に危険なことが多いからである。その証拠には、車がこないことが明白である場合、歩行者は信号を無視することがよくある。
 クジャクの雄の華麗な羽は、雌に対する求愛の信号である。雌は、雄の羽をみて相手を選んでいるらしいが、そこにはどんな情報が含まれているのだろうか?また、多くの動物は、直接的な闘争を避けるために、さまざまな儀式的な信号を発達させている。威嚇の信号をみた相手は、それだけで、実際の闘争には至らずに逃げてしまうことがある。では、なぜ威嚇の信号は信用されるのだろうか?
 毒があって味がまずい種類の動物は、そのことを強調して示すために、警告色と呼ばれる派手な色をしていることが多い。また、毒がなくても無害な種が、実際に毒があってまずい種に似せる、ベイ型擬態というものがある。これらはなぜ信用されるのだろうか?
 コミュニケーションの進化、信号の進化は、行動生態学の非常におもしろい一分野である。なかでも「ハンディキャップの原理」と呼ばれているものは興味深い。それは、イスラエルのアモツ・ザハヴィが考え出したもので、信号が信用されるためには、発信者にとってコストのかかるものでなければならない、という説である。
 威嚇のシグナルを考えてみよう。そのシグナルは、「自分は本当に闘ったときには非常に強いのだぞ」という情報を発している。もしも、本当は強くないのにそのような信号を発する個体がたくさんいるのならば、やがて、そんな信号は誰も信用しなくなるだろう。そこで、その信号が信用されるためには、それは本当に正直に内容を示すものでなければならないはずである。
 そのためには、本当に強いものだけしか出せないような、つまり、強くない個体にはまねができないような、コストのかかるものでなければならない、という説である。ハンディーを背負えるものだけがそれを発することができるという意味で、ハンディキャップの原理と呼ばれている。
 クジャクの雄の羽がどんな信用のできる情報を伝えているのかは、まだはっきりとはわかっていない。しかし、雌は確かにそこから情報を読み取っているようだし、あの華麗な羽を生やすのには本当にコストがかかっている。あんな大きなものを生やすための余分な栄養も必要だし、目立つので捕食者にもねらわれやすい。風の強い日など、それに逆らってあの羽を広げてみせるには、相当のエネルギーが必要である。
 毒があってまずいことを知らせる警告色は、赤、黄色、黒といった縞や斑点であることが多い。これらの色素を作りだすにもコストがかかる。こういった化学物質の多くはカロチノイド系であるが、これらを合成するのは、それほど簡単なことではない。ベイツ型擬態で、毒のあるものに擬態している種類も、実際に毒はないものの、色を出す化学物質gは自ら作っているのであり、ただ楽々とまねているわけではないのだ。
 ベイツ型擬態の場合など、本当には毒ではないのだから、敵は、それを見分けることができた方がよいだろう。しかし非常によく似たものを見分けるには、また、見分ける側にコストがかかる。そして、中途半端に見分けて失敗したときのコストは、さらに大きくなるだろう。そこで、「一応、どれも信用する」という無難な手をとっているのかもしれない。
 細胞の表面には、さまざまな種類の糖鎖がくっついている。これらは、複雑な構造をしており、いろいろな細胞の種類を見分けたり、特定のタンパク質をみつけたりするための信号として使われている。
 最近これもハンディキャップの原理でできているのではないか、という説が出された。たとえば、酵母が細胞の表面にもっている複雑な糖鎖分子は、細胞どうしが接合するときに相手を選ぶために使われている、コストのかかる分子信号ではないかというわけである。クジャクの羽と同様の分子の飾りだ。
 この考えが正しいかどうかは別として、アイデアが、狭い専門分野を超えて広がっていくのをみるのは楽しい。異なる分野の研究者との雑談を通して、はっとひらめきが走る瞬間は、ちょっとした感動のときである。
 さて、ネオンサイン、コマーシャル、人々の服装や外見、言葉など、人間が発しているさまざまな信号はどうだろうか?これらでは、ハンディキャップの原理は成り立っているのだろうか?
 信号の信頼性やベイツ型擬態について考えるとき、私が思い浮かべずにいられないのは、日本全国の道路のあちこちにあった、おまわりさんの人形である。あれは、日本の警察が発明したベイツ型擬態であろう。果たして効果はあったのだろうか?最近見かけなくなったようだが、もう絶滅したのだろうか?

 この論文には幾つかの問題となる点が記述されている。例えば最後のおまわりさんを擬態する例の人形の絶滅という事態は、恐らく容易にそれがニセモノであるということを大勢の日本人ドライヴァーが見抜いたからである。そしてそれと同様のことというのは、ある意味では絶滅の危機に瀕した動物種にも見られるかも知れない。例えば最初は絶滅の危機というリスクを回避するというコストを払って獲得したベイツ型擬態の幼虫がいたとしよう。しかしその種の幼虫は長くそのベイツ型擬態の恩恵を被って既に絶滅種には属してはいない。その時捕食活動全般に渡って深刻な危機に見舞われた動物種がその擬態を見抜くということの可能性とは恐らくその種に許容された脳の進化の度合いによるか、さもなくば突然変異個体による偶然的な発見である。
 例えば本来ならば毒々しい色彩のその幼虫は害毒種であるという危険性を察知する視覚能力センサーの付与された種のあるセンサーが機能しない突然変異個体を持ったとしよう。そしてその個体は他個体と異なって臆することなくその幼虫を食べたのだ。するとそれがおいしいということが分かったし、それを食べても死ななかった。するとそれまでは回避してきた他の個体も挙ってこのベイツ型擬態の幼虫を食べ始めるだろう。これは動物に備わったミーム的現象である。恐らく生物学者たちは自然選択というものをそういうレヴェルで考えているのかも知れない。つまり安定化したベイツ擬態がほんの偶然によって見破られることによって、今度はベイツ型擬態のあり方、あるいは擬態そのもののあり方そのものに変更が加えられていくということは考えられるところのことである。
 スーザン・ブラックモアはミームということを人間による一つの驚くべき現象であるということをもってドーキンスが指摘したことを発展させて、一つの学問の域にまで拡張したが、そのミームの実質の一番特徴的な事態とは、端的にある行為を最初に始めた個体のするように模倣するということである。しかし恐らくブラックモアの主張するように、せいぜいのところ動物のなし得る模倣という行為は極めて限定されていよう。その点人間だけが殆ど彼女が指摘しているように笑う時にまで周囲が全員笑っていれば、連鎖反応で笑うようになる。つまり人間の大きな特徴とは極めて模倣能力に長けているということなのである。だからこそ滅多にないことであるが、ある専門分野のノウハウとか原理とかが別の専門分野のそれに影響を与えるというそのノウハウや原理の持つミーム性というものは、長谷川氏のような専門分野に携わる方にとって驚異の偶然であるということなのだ。つまり人間の能力としての模倣という事実に対して、いかに学問の世界の閉鎖性が、その本来の応用可能性を閉ざしているかということは、逆に言えば、人間は一旦獲得した能力とか知識を専門家のようなギルドによって独占され、またその事実に対して大した大きな疑問を抱かずに過ごすことが出来るとい安穏とした全能感と、最前線の専門分野の人々が往々にして抱く盲目の信頼という奴が人間を日常生活において支配している、ということなのである。(このことは本論全般に渡る一つの大きなテーマである。)
 このことこそ私が前節で示した「問題なのは、我々は①の不動事実であると思っているものの大半が実際に③のものであるということになかなか気がつかないということなのである。」という部分の主張に繋がるのである。
 細分化された自然科学分野の最前線というものはある意味ではその分野の携わっている人間にしかあらゆる知識やノウハウ、テクノロジーや思想が波及しないというの現代の常識なのである。このことを問題として提出された論文が佐藤徹郎氏の「科学から哲学へ」である。

 付記 論文未完成部分作成のために数週間お休み致します。(河口ミカル)

Wednesday, January 20, 2010

時間・空間・偶然・必然_意識という名のミーム<科学で切る哲学、哲学で切る科学>4、信じることのプロセスから考えられる時間の性質

 哲学者がものを書く時、その言説は日常的に彼が内的に実感し得ることを糧に内容を決定するだろうし、その決定された内容に盛り込まれた主張が正しいと実感し得る時にのみ書こうとするだろう。それは倫理的に正しいことであると言うよりは必然的な行為のあり方である。しかしそれはどこか科学者が実験によって得られたデータを下に法則的事実を発見したと確信した時にする理解の仕方と、その啓蒙意識に共通性がある。しかし科学は実践出来ることにおいてのみ実験しようとするが、哲学は科学で言うところの実験は不可能な領域を最初から目指す。
 しかし極めて重要なこととは、その言説と言説を成り立たせた信念とが仮に一致していたとしても、その言説が他者、つまり哲学テクストの読者に対して一定の説得力を持ち得るかどうかに関して彼ら哲学者とは決して最初から完全なる自信があるわけではない。
 自信を得るために書こうと決意する時もあれば、恐らくこれだけは確かだろうという信じる気持ちが強い時にこそ書こうとすることもあろう。
 そこで本節では信じる気持ちというものがどういう風に立ち現われるのかということを軸に、信じる気持ちとは一体何なのか、どういう意味を持ち得るのか、ということについて考えてみたい。
 そもそも1945年8月15日に終戦を迎えた太平洋戦争、あるいは大東亜戦争、そして第二次世界大戦という歴史的事実を信じるということの内にある私にとっての「信じる」意味と、今日さっきパスタを私は食べたということを「信じる」意味と、私が日頃から感じていて、その感じていることの根拠とか、感じていることを成立させる背景に対して哲学的に究明し、一つの真理を発見したとして、その真理そのものに対して「信じる」ということの意味はそれぞれ異なっているように思われる。それは成立する状況も違えば、立ち現われる「信じる」ことの性質さえ異なっているように思われる。
 例えば私は1959年に生まれたので、当然戦争を知らない世代であるが、しかし戦争がかつて日本であったということを知っている。だから私は外部的な環境によって、例えばこの例でいけば、両親が戦争を体験しており、その体験談という形で、あるいは歴史について触れた本や新聞や、テレビやその他のメディアによってその体験を綴った内容のフィクションとかノンフィクションを通して私は戦争に対する知識を得、それを糧に私はそのような戦争があったと「信じている」。
 しかしそのようなこととしてさっき私がパスタを自分で茹で、食べたということが私によって信じられているわけではない。それは現実に私がなした行為に対する今現時点での確信からそう言うのである。しかし重要なこととは、私が今日食べたパスタのこと、つまり私が茹で皿に盛り、食べた事実は、私が一年後仮にこの文章を自分で読む時には恐らく思い出すかも知れないが、そういうことでもない限り一切私は今日夕飯のパスタのことをけろりと忘れて過ごしていくことだろう。
 しかしその点私は太平洋戦争に関する歴史的事実を「あった」と信じることは一年後も恐らく今現時点とそう変わりないだろうということは予想出来る。勿論その時の世界情勢とか社会情勢次第では太平洋戦争という歴史的事実に対する受けとめ方は今とは変わっているかも知れない。しかし恐らく終戦記念日とかその終戦へと至ったという歴史的事実の本筋においてはそう変更があることはないだろう、勿論新たな新事実が歴史を掘り起こして発見されるということはあるかも知れないが、そのことは寧ろ私が他の多くの日本人が知識としての実感として知っている戦争のイメージをそうたやすく変えるものではないだろうということは容易に想像出来る。
 さてそういう意味では私がある程度長い時間をかけて醸成させた自らの信念に近い、最後の例である哲学的考えというものは、私自身の人生に何か途轍もなく大きな異常体験があったのならともかく、そう大筋では変わらない生活を一年後私がしているのなら、その時なりの今とは違う受けとめ方があったとしても尚、私はそれを例えば今書くこの文章をその時読んでも、先ほどのパスタの例のように「そうか、そうだったか。」ということとは違った形で、私は「なるほど、今でも基本的にはそう考えているよな。」と思うことだろうと私は思う。そういうある種の不変性という意味では私にとっての太平洋戦争の終戦という歴史的事実に対する知識としての「信じる」と似ている。
 しかし太平洋戦争の終戦の日という事実とは外部強制的に私にかつて到来し、その時点から固定化されたのに対して、私の哲学的信念という奴は、ある意味では私という人間の内部主体的な到来によってのものである。勿論私自身の信念は恐らく多くの対私の外部規定的なこととか、私にとって思いも拠らない多くの私自身には責任のない多くの出来事がかかわっていることだろう。しかしそういった外部的な非私的な要因を差し引いても尚、そこに私自身が自殺でもしない限り、生への執着を保持している限り、私自身の内発的な要求に拠るものであり、私自身にその信念の責任がある。
 例えば実際にはこんなことは滅多にあることではあるが、哲学的には私たち戦後世代の全ての人が実は全くなかった戦争というものを上の世代によって捏造され、信じ込まされているという可能性というものも皆無ではないとだけは言い得るのである。事実生物学者のリチャード・ドーキンスは宗教倫理的な、宗教教義的なものに端を発する全て信仰や迷信、あるいは伝統的な文化コード的な支配力の全てを「本当にはなかったのに、あったかの如く幼児期に刷り込まれてきた悪弊」であると断じている(「悪魔に仕える牧師」、「神は妄想である」等より)が、このような考え方はある意味では私が今述べた戦争がなかったのにあったとして教え込むようなことの実例を理解するためには役に立つだろう。
 要するに自分がしたことに関する行為事実に対する認定という意味合いでの私が茹でてさっき食べたパスタということに対する確信と、太平洋戦争の終戦という歴史的事実に対する確信と、私が日頃感じ続けてきて、次第に確固となってゆく哲学的な確信という三つの間には明確な違いがあるのである。 
 では私はこの三つの信念に対してその「信じる」こととなるプロセスを通してその醸成の違いに注視しながら時間というもののあり方に関して考えていってみようと思う。
 まず太平洋戦争の終戦という歴史的事実に対して、そういうことが過去にあったということを「信じる」ことの信じ方の範疇には極めて多くの他の「信じる」が入る。つまりある程度永久にそうであると信じることから、人生に大半と言っていいほどの長期的な期間変わらない真実に対して向けられる信念だからだ。
 この中には我々が両親に対して、あるいは配偶者や子供に対して抱く同一的な識別ということも含まれる。通常はそういう人間関係を誤って記憶するということはあり得ない。あるいはこの中には三角形の内角の和は180度であるというような数学的な知識、物理学的な知識、つまり定理や法則に対する一般常識も含まれる。
 それに対してさっき私が食べたものはパスタであるという信念はその時々には全く疑う余地のないものであっても、それが二日三日、一週間とたつ内に忘れ去られる信念なので、そういう信念は要するに「今」ということに深く関わっている。
 最後の一つは私が例えば50年生きてきて、人生全体から、そして日々の生活の実感から得た教訓とか、人生訓とか、哲学的考えといったものであるが、こういった信念とは要するに経験によって培われるものであるから、第一の信念のようにかなり長期的に不動である場合も多いが、何らかの変更を来たす可能性は大いにあり得る。そういった意味では通常自分の両親(特に生みの)が変更されないとか、数学の定理が覆されないというような意味での不動性、固定性というものは絶対的ではない。しかしある意味では生活において四六時中住みつくという意味合いにおいて極めて大きなものがある。たとえそれが思い違いであったり、考え違いであったりしてもこういった信念というものはかなりな部分で人生での成否を決定すると言ってもよいだろう。
 この三つの信念を差し当たって、次のように定義しておこう。

① 不変的真理、不変的事実に対する信念(初期設定的信念)
② 今の状況、今している行為を基軸とした信念(状況判断的信念)
③ 継続的経験に基づいた生活上、人生上の信念(被獲得信念)
 
 この①において我々はその事実を信じるにあたり、一定の確信を得るために信憑性というものを得る必要があり、その信憑性というものは例えば自分の両親というものの存在のように外部的に強制的に告げ知らされるようなタイプのものと、学校とか教育機関においてやはり強制的に教えられるものがあり、一定の努力の末に掴み取るようなもの、例えば仕事上のノウハウといったものは③に属すということにしようと思う。
 ここで問題なのは③とは要するにある程度長期間における断続的な経験というものを必要とするということ、そして①はそれとは違って大半が幼児期に決定されるものであるということ、そして②は人生のどういう時期であれ、意識というもの、あるいは自我というものを持つことになる年齢以降の全ての瞬間に介在する信念であるということである。
 信念とは形成されることにおいても一定の時間を要するが、それが極めて重要であるということはやはり一定の時間を保持する必要性が生じることでもあるが、①の場合、その信念は人間として生きていく上で社会的な認識力とか常識という意味では、不可避的なものであり運命的なものでさえある。まず両親とか子供という存在に対する同一的識別の信念がそうであるし、どこそこの国に生まれ、どういう民族、どういう社会体制の国や共同体で生活するのかということに関する信念は、自分の努力ではどうすることも出来ない。それは家族構成とか生まれた時の環境と同じようにである。
 しかし②においては自分の自宅にいる時でも、外国旅行中でも、拉致されて監禁されている部屋においても、いつ何時でも等しく経験する知覚、感覚、意識に対する信念である。
 その意味では不動のものでも、今現時点のものでもない信念である③にはある程度流動的であるとも言える分、その流動性を構築するために①や②があるとさえ言い得る。
 つまり①は初期段階で決定されるものであり、②はその都度のものだとすれば、③は明らか①という前提においてその都度の②の集積とか統合によって形成されるものであるとは言えないだろうか?
 この三つの信念を時間的なスケールで示すと次のような図式が与えられる。

① 初期設定的信念→決定→持続
② 状況判断的信念→意識的、対自的常時保持
③ 被獲得信念→①の前提の上に②の経験と記憶によって統合されたもの
 
 従って①の決定的な運命に対してその都度の生の時間内における②の集積は経験と記憶によってなされるが、その運命的事実に対する記憶とエピソード記憶的な想起と、その都度のその二つの統合(恣意的なものである)、あるいは再構成ということにおいて③が成立するわけだから、①の不動の記憶に対して②のその都度の意識の連続とそれに対する想起が、生全体に必要とされる記憶の再構成という事態をもって、はじめてその都度③が形成されると考えてもよいだろう。そして②に対する記憶はその都度選択されて想起されるだろう(忘れ去られることも多いだろうが)し、③の成立によってその都度②のエピソード記憶に対する想起内容、想起対象の時期や瞬間が確定されると言ってよいだろう。
 しかし問題なのは、我々は①の不動事実であると思っているものの大半が実際に③のものであるということになかなか気がつかないということなのである。
 このことに関して次節からはスーザン・ブラックモアの「ミー・マシーンとしての私」と佐藤徹郎氏の「科学から哲学へ」という二つのテクストに対する解釈からこの難問取り組んでみたい。

Friday, January 15, 2010

時間・空間・偶然・必然_意識という名のミーム<科学で切る哲学、哲学で切る科学>3、憎まれっ子世に憚る

 この節の表題となる言説は諺中でも屈指の他者論である。
 私はこの言説の意味するところを長く単純に、皆からの、周囲からの嫌われ者というものはいい人間とは違って周囲に、つまり他者間に違和感を齎すから目立つということ、あるいはいい人間というものは死んだら悲しいと思うのに対してそうではない者はなかなか死なないという風に思えてしまう人間の心理を表現するものであると理解していたが、それは勿論誤ってはいないものの表面的な理解であるということに最近気がついたのだ。
 この言説の持つ真の意味とは実はそのように他者の存在を認識するように我々は運命づけられているということそのものに対する覚醒の意図を持つ言説であるという風に理解しなおしたのである。
 つまり自分にとっては好きな他者というものは掛け替えがないものであるから共にいる時に違和感などないのは当然であるが、そうではない他者とは違和感を醸し出すものであるということは、つまりそういった存在、つまり存在理由が極大化された存在そのものを疎ましく思うという心理には社会そのものに対する我々の要望がいかに自己中心的なものであるかということを示すものである。従って夢というものが、あるいは願望というものが総じて容易く実現し得ないからこそ夢であり願望であるという意味と同様、他者のあり方そのものが我々の夢や願望通りにはいかないということが、例えば愛すべき他者においても、自分にとって好ましい部分だけではなく、自分にとって醜く感じられる部分をも併せ持つという現実そのものへの注視を促すような言説であるという風に理解の仕方に変化を加えたのである。
 つまりもっと簡単に言えば、私たちはただの一人も好きなことだけをするわけにはいかず、好きな人とだけ一緒にいることは出来ず、好ましい状態だけを生において享受するわけにはいかず、それどころか好きなことをするために嫌なことを沢山しなければならず、好きな人と一緒にいることを多くするためにはそれだけ嫌な人と一緒に色々のことをしなければならず、好ましい状態を獲得するためにはそれだけ多く好ましくない状態を多く経験しなければならないということ、そしてこの嫌なこととか嫌な存在者とかとの共存とは我々にとっての運命であるということをこの諺が示しているように思われたのである。
 それを言うのなら、この諺な明らかに他者論哲学の主たる命題を表しているとも言えないだろか? 
 人間は自然において憎まれっ子であると自分でそう思いたいという部分があり、その部分が哲学のような学問を生んできたとも言える。しかし存外自然は人間だけをそのように固有の存在ではなく、勿論影が薄い存在というわけもないものの、決して特別の存在であるとは考えもしないし、事実人間だけが特別であると感じるのは人間だけである。
 しかし哲学はカルテジアンなら格別にそうなのだが、人間と人間以外の全てという区分けしか持たない。しかし生物学者とはどこか人間への興味を人間以外の生命にも適用するということを無意識にしているように見受けられる。彼らにとって人間を含めた生命とそうでないものという区分けがある。
 しかし物理学者たちにとっては人間も、人間以外の生命も、それ以外のものも全て自然界の物質である。それに対して考古学者たちはどこか人間や生命に対する関心をそれ以外のものに求め、その自然に対する愛着を持続しているよう私には感じる。
 哲学者でしかも倫理学的認識のきちんと出来る人であれば、恐らく人間には固有の意志があり、自由があり、当然それと不可分の責任があるから、植物や動物が行為選択というようなレヴェルの行動ではない本能や遺伝子的決定に従っているだけである、ともし捉えても、恐らく科学者なら人間でさえそれと同じことを結果的にはしていると自然全体からは捉えられると言うだろう。
 憎まれっ子であるという意識を自分で認識することは、どこか他者からよく思われたいという姑息な浅ましさがある。だからそういう意識が哲学を生みもしたものの、同時に哲学によってそう思うことは浅ましいと考えることも生じさせたと言える。
 恐らくどのような人間存在も自分で考えるほどには憎まれっ子でもなければ、格別重要な存在でもない。それは格別偉大な業績を残した存在者もそうだし、極悪非道な犯罪者も同様である。そしてそう結論するという意味では哲学者も科学者もどこかで共通しているのではないだろうか?
 だからこそ憎まれっ子と共存するという運命は各存在者個人にとっては極めて当然の事実であり、その憎まれっ子ということの内にはあらゆる他者が、あらゆる自己が含まれるということである。

Sunday, January 10, 2010

時間・空間・偶然・必然_意識という名のミーム<科学で切る哲学、哲学で切る科学>2、時間と意味、そして言語空間

 時間を事象間の連関を認識するものとして、あるいは空間的な展開の全行程を目撃し、それ自体は決して干渉しないようなタイプの変化を許容するような場を空間と呼ぶのなら、我々は次にこの時間を意味として考える場を得たとも言い得る。なぜなら意味とは変化というもの自体に即して他のものとの間で成立するものだからである。そして変化そのものが固定化したものではなく限りなく偶然的な展開を許容するような形で反復したり、しなかったりするということのあらゆる可能性の中の一つをたまたま選択するような展開の歴史を構成するその行程そのものを我々が時間と呼ぶなら、その歴史を意味として認識するということの意味は実は我々が時間を語るという行為の中にあるし、その時間を語るという行為そのものの意味を突き詰めることによって時間の意味も仄見えてくるという可能性を我々が信じることを諦めていないということをも意味する。
 我々はある意味では時間を意味として受け取ることの出来る唯一の存在者として自己を認識し得る。それが時間はその時間を語る存在者である我々の意識のあり方の中に見出し得るとも言い得ることと一の事実である。
 他者の存在が我々を他者の存在を語る上でその他者の存在理由を見出そうとする思考と言語行為の中で示す意味とは、他者の存在が不在となった時、とりわけその者の死をもってその者の不在の意味を探ろうとする言語行為の中で我々が他者の生前の存在理由を死後認識しようとする時により顕在化する。
 だから逆に死をもってその存在理由を敢えて見出す必要のないようなタイプの存在者には、確定的な彼にとっての他者による彼自身の存在理由の評定があるということを意味し、逆に敢えて死後彼の生前の存在理由を見出す必要があるという鎮魂的意図の言語行為をする必要があるということは、その者が端的に生前「影が薄い」存在だったということを意味する。
 私は今この日本語である「影が薄い」という言説に少し拘ってみようと思う。
 「影が薄い」という言説にはある種その者の存在が他者に与える影響力とか他者が彼の存在に見出すことが容易である(と言うことはわざわざ存在を見出す必要がないということを意味するが)のか、それとも敢えてその存在を見出す必要があるのかということにおいて、極度に後者であるということを表す。
 この言説を日本語で言う時、それは一般的言説なのであるし、常套的な表現でしかないのにもかかわらず、我々は、いや少なくとも私はこの謂いに極めてある真実を表現し得る巧妙さを見出すのである。だからもし英語でこの言説を英語上での常套的表現に委ねて、翻訳するのなら、あるいは通訳するのなら、きっと
He is unimpressive.(He is not characteristic.,He is not characterized.)
He is not so important for all.
He is not anyone.(He is not a someone.)
He is the person not(less) to miss for us.
と言うようなタイプの幾つかの言説が与えられるかも知れない。しかし敢えて私がこの日本語をそのまま直訳(直訳とも言えないようなタイプの翻訳なのであるが)し、例えば次のような翻訳をしたとしよう。
His shade is pale.
 するとある一定以上の知性を兼ね備えた英語圏のネイティヴなら、恐らく誰でもある程度納得し得るような態度を採って、私のこの翻訳あるいは通訳された内容を日本語が示す意味とほぼ相同のものとして理解することだろう。
 それは慣用的な日本語であるということを英語の慣用性へと置換するという観点からは、敢えて暴挙であるようなこの翻訳や通訳それ自体が、表現としての意味を問うた時、明らかにある種の意味論的普遍性を持っているということを意味するからである。
 ある存在者の存在理由を問うという行為は、その行為者たちがその存在者の生前の、あるいは生きている者の話題であるにしても尚、その存在理由を問わねばならないという行為に対する必要性を敢えて意識することを選択しているわけだから、当然そのように敢えて問わない存在者に対しては一定の存在理由を問う必要のない存在として認可しているという敬意に対する現われでもあることを意味する。
 ある存在者の存在理由を問うという行為の意味するところは、死者であるなら、その死者の生前持っていた彼の生そのものの存在理由を見出す必要をもって、その死者への敬意、あるいは鎮魂の情を示すということを意味するから、当然他者の生という事実を一定の時間を共有した者にのみ固有の、あるいは一瞬間たりとも共有していない場合なら、その者と仮にそういう瞬間を共有していたのなら生じるであろう他者の存在理由を問うことを通して、生という事実が変化であるということ、その変化がその語義上その時々において偶発性を有しているものであるということを前提しつつ、その他者や周囲の環境と相応しながら変化することそのものが生きた時間に対する承認を我々がなしているということ意味し、それは我々にとっての時間というものの意味が生の意味であるということを我々がどこかで意識するにせよ、無意識的にせよ覚知しているということでもある。そしてその<我々にとっての時間=我々の生の時間>という図式を理解することを意識的にせよ無意識的にせよなすことこそが我々にとって言語空間であるに他ならず、それが発話であれ、記述であれ我々に対してその言語的メッセージへと意識を向かわせるところのものなのである。

Sunday, January 3, 2010

時間・空間・偶然・必然_意識という名のミーム<科学で切る哲学、哲学で切る科学>1、時間というものそのものの偶然性

 我々が通常時間と言う時、我々は既に空間と協同して何らかの世界秩序を構成するというニュアンスを含めて言うことが多い。しかし空間がその正体を明らかにしているとも、時間がその正体を明らかにしているとも言い難い。
 ただある空間に何らかの動きをする物体がある場合、我々はその動きということの中に時間の一定の推移を読み取り、そこに動きを成立させる場としての空間と、動きを成立させる一定の間隔を時間と読み取るだけのことである。しかし実はその動きを読み取る我々が存在するということが、その空間と時間を成り立たせているということを案外我々は忘れがちである。
 例えばある物体が一定の動きを寸分も違えずに延々と繰り返す、そしてその繰り返しはその都度太陽の周囲に軌道を描き回る地球のような微妙なその都度の誤差さえないような、つまり地球の例で言えば、完全に同一の軌道しか描かないようなタイプの同一の動きを繰り返すようなタイプの、そして永遠にそれをただ繰り返すだけの物体、しかもその物体は一切の変化をきたさないということとそれらを保証する場であるようなケースを我々は果たして変化と変化を保障する空間と呼べるのだろうか?つまり何らの偶然的な物体間の衝突とか、何らかの偶然的な動きの変化のないような固定化されて全く変更のない動きと物体間の関係というようなものを保証するものを果たして時間を有する空間と呼べるのだろうか?
 つまり時間と言う時我々はまず我々、つまり時間という得体の知れない非実体を認識する人間が存在するということ、そしてその我々人間と、それ以外の全ての存在者たちとの間で何らかの関係があり、その関係のあり方は決して常に同一なのではなく、微妙にであっても刻々変化しつつあるということ、そしてその変化というものが完全に法則に従って寸分も常に異なることがないようなことではないということ、勿論概ね同一で仮に法則的なものであっても何らかの偶然的変化というものがあり得るということ、そしてその変化を我々が覚知し得るということ、そしてその変化というものが仮になかったとしても、その変化のなさそれ自体が必ず変化し得る可能性を持っていること、つまり変化しても変化しなくても、そのこと自体が必ず変化し得る可能性と潜在性(つまり偶然)というものに内包されているということ、それらの条件が揃って初めて我々はそういう変化と偶然をきたす場を空間と呼び、それらの変化と偶然を体験する一定の間隔をその変化と偶然を変化と偶然と認識することを可能にする前後にあって、あたかもその一定の間隔を挟み込むように我々に思わせる連なりとして我々を認識させるある空間とはまた別の秩序の場を時間と呼ぶのではないだろうか?
 だから逆に必然的であり、一切の偶然を許容しないで動き、その動きが一切の変更をしないままでいるもの、あるいはし得ないものとは動きではあっても少なくとも変化と呼ぶに相応しいものではないのではないのか?そしてその変更と変化の一切ない固定化された動きだけを延々保証するようなタイプのものは時間とは呼べないのではないだろうか?
 つまり私はあくまで時間とはある動きに対して我々がそれを見ていて、その動きがこの後どうなるか分からないということを含み持つようなこと、つまりある動きそれ自体が「先行きどうなるか分からない」という不確定要素を必ず含み持つようなことそれ自体を時間と呼び、そのどうなるか分からないこと全体を見守る場を空間と呼ぶのではないだろうか?そして空間とは変化のなりゆきそれ自体には干渉しない。
 そもそも我々人間という存在者は延々と同じ繰り返しに耐えられる存在ではないということをもってしても、それだけで既に我々という退屈ということを知り、倦怠を肯定的にも否定的にも認識し得る存在者として成り立っているということをもってしても、我々は物体、及び物体間の変化のない時間と空間、偶発的要素の介在しない時間と空間というものを想定することは出来ない。だから我々が一切いなくて、それでも尚変化そのものなら成立する場というものはあり得よう。しかしその時に時間と空間が成り立つとすれば、必ず我々以外の変化を認識する能力を有する存在者を必要とするとだけは言っておきたい。
 ここで纏めよう。時間とは空間という場で成立する事象の全ての成り行きにおいて、偶然的な展開を許容するような一定の事象間の間隔を保障するものである。そして時間とはその事象そのものが仮に変化せずに延々と反復するにしても、その反復それ自体が、反復しないというあらゆる可能性の中からたまたま自然に選択された結果であるような意味で偶然的なことであると言い得るような物体間の関係と事象の展開を持つということを保証するようなタイプのものである。また空間というものはこの時間の持つ偶然性の目撃者として静観しているようなタイプの場である。