Thursday, February 27, 2014

時間・空間・偶然・必然_意識という名のミーム<科学で切る哲学、哲学で切る科学>18、「私は変わった」とは言わないのに何故「私は生まれ変わった」となら言うのか?

 ほんの時々我々は生まれ変わったと自分のことを言うことがある。尤もこういう言い方は全ての人が使う訳ではない。それ迄余りにも酷い生き方をしてきたと自覚する者のみが心を入れ替えたという意味でそう語る。しかしそう語るにはやはり信用を取り戻そうという意図だけはあると言えるだろう。と言ってそう言い放ちその様になかなか人は変われない。変われないのに変わる。これは語義矛盾ではない。つまり自然と変わる。変わりたい様には変われない、ということだからだ。意図的に変わろうとしても変わらず、意図的に変わらない様にするのに変わるのが我々なのだ。だから「私は変わった」ともし言ったなら、そうかその様に今気づいたのかと言われやすい言い方となるので、敢えてそうは言わないのだ。何故なら変わったか変わらないかは自分自身のことを言語行為で他者に告げることではないからだ。何故そうであるかは前章で既に論じた。要するに自分で自分を変わったと言う場合意志的に変わったのなら「生まれ変わった」と言うべきだし、又自然と変わったのなら「(誰からから)最近変わったと言われる」と言わなければ事実報告として不自然だと思われるからである(実はこの自然ということもそれ自体かなり難しいことなのだが、それは今後の宿題とすると言うにとどめ、先を行こう)。他者が自分に対して、或いは自分から他者へ「貴方は変わった」となら言うことは出来る。それは要するに自分自身から観た貴方への率直なる印象告白なのだから。
 しかし私は生まれ変わったと言うのは、それ迄の悪い意味での変わらなさへの反省から変わることにした、そして事実変わったと告白することである。しかし敢えてそう言わなければ信用を取り戻せないのは単に人間がそう簡単には意志的には変わらない、自己、自分自身をそう容易には変えられないということを我々が知っているからである。
 哲学では惰性的に、(本来なら)変わるべきであるのに、意志薄弱的に変われない侭で居ること、要するに弱い意志のことをアクラシアと言う。このアクラシアこそが生まれ変わることを意志的な意味で価値的なことと我々がしやすいこととなっている訳である。だから生まれ変わったと言えばそれなりの決意をしたのだなと取り敢えず受け取ることも可能なのだ(勿論そういう言い方自体を白々しいとして一切受け付けないということも我々に於いては多いのだが)。
 誰しもアクラシアであることをアクラシアと自覚する者はその脆弱な意志そのものを変えたいと望む。それはしかし容易ではないと知っているので、今回取り上げた「生まれ変わる」という表現自体も日常的に頻繁には決して使わない。変わったと言われるということはよく言うことである。しかしこれも表情とか顔とかそういう具体的な指示を伴ってであることが大半だ。人間性そのものが変わったということを自己客体化して告げるという報告状況そのものが特異であるので、必然的に生まれ変わるにせよ、もっと「私は変わった」とその言葉単独で告げることはない。もしそう言うとしたなら、それは変わるという事態に就いて論じている文脈上だけであろう。
 しかし変わるということそのものを哲学的に論じだしたなら、恐らく一冊の本が書けるくらい、否それだけでもとどまらない深い論議へと直結する。だからこそこの変わるということを自己に対して他者へ報告することも、他者へ直にその自己、自分からの印象を告げることはそう滅多にはない、とも言える。しかし親しい間柄であれば、そういう変わったという印象を告げるべきだと判断する時は確かにあると言えばある。しかしやはりそう頻繁ではない。と言うことは我々が変わるということをやはり特異なこととして理解している証拠である。
 変わるということは自然であると我々は考える処はある。成長、老化等に拠ってそれを実感することは生きていれば容易い。だから変わらないということは変わっていく自分自身に対して何時迄も同じに感じられるということである。となれば逆に変わらずにある様に思える錯覚でしかなく、実際には変わっていないということはあり得ない、と一方では我々は知ってもいる、ということでもある。
 変わらないということはしかし他方もっと高次のレヴェルに迄視点を拡張すれば、変わり続けること自体は変わらない、と言い得る。要するに仏教用語的に言えば無常なものとして移り変わりゆき、それが止まることがないというレヴェルでは一切は変わりないし、変わらない(と言い得る)。つまり常に移り行くことそのものは常に変わらないのだ。唯個々のことを一々論えばやはりそれ自体は変わり続けているのだ。
 ギリシャの哲学では変わらないというより、動き自体が一切幻で、全ては動いている訳ではないのにあたかも全てが動いている様に思えるという考えは存在した。それもしかし煎じ詰めればやはり変化自体など存在し得ないということである。その考えから言えば確かに変わり続けていることそれ自体が変わらないのだから、何も変わらないということだけが真理だともなる。
 しかしやはり変わるとか変わらないと、そう語るのは我々自身だけである。語ることでは変化しか注目し得ない。変化しないということ、変わりないということを告げることも実は、結局変化していないという事態こそが以前とは変わってしまったことだ、という意味である。それは停滞の報告であり、変わるべきものが頑固に変わらずに居るという不平や不満や驚嘆の報告である。
 そういった報告が出来る、という我々自身の性質こそが、意志的に、意図的に、意思決定とか決意的に生まれ変わるということを思念すること、そう意志することが有意義に我々にとって感じられる時がある、ということにほかならない。
 自分自身の変化は人からどう思われているかと聞かれぬ限り報告することは不自然であると我々は感じる。つまりそういう破綻を一切認めない処でのみ意志疎通が成立しているということそのものこそコミュニケーションが慣習化され因襲化されていることを証明している。だから先手を打って相手から問い質される前に自分から自分の意志、決意として生まれ変わったと告白することを一手ではあるし、前章で可笑しいとした「私は変わった」とそう言うことも又一手だとは言い得る。
 しかし繰り返すがそれが一手であることは、即ちそれが自然ではないとする慣習、因襲に取り囲まれて我々が生活しているということでもある。だからこそ「生まれ変わった」と言わなければいけないこととか、態々そう言い放つことが有意義に思える瞬間が日常に稀には存在するのだ。
 結局この生まれ変わるということを決意してそう実践していることを報告することを自然なものにする状況(それがまさに本章で私が問題化させているのだが)そのものは、私は変わったと何の前触れもなく告げることを不自然とする厳然としたコミュニケーションをスムーズに運用する為の自然な流れというものを我々が認識している、という事実を物語っているのだ。そしてその自然さとは自然界の自然さではなく、端的に倫理的な自然さである。そしてそのことは言語行為では純粋に自然界的な自然さの方がずっと少なく、寧ろ意志的、感情的、情動的な報告の方がずっと多い、ということを意味している、示している様に思われるのである。
 しかしそのことは表現そのもの以前的に文法的に、品詞論的に(つまり形容詞でも名詞でも動詞でもだが)既に言語行為の形式、運用される体裁自体に既に内在している問題でもあるのだが、それは本章の手に負えることでは今の処ない。

Wednesday, April 10, 2013

時間・空間・偶然・必然_意識という名のミーム<科学で切る哲学、哲学で切る科学> 17、「彼(女)は変わった」とは言うのに、何故「私は変わった」とは言わないのか?

 さて10、私は今を食い尽くす において私は若干この本節のタイトルにある事の根拠を述べた。しかし実はこの問題は極めて大きな意味があり、そう簡単に解明したと思って貰っても困るものなのだ。しかもこれは時間論にさえ関係している。そもそも私という意識という捉え方それ自体が哲学ミーム的幻想であっても、確固とした存在論的実在的意識であったとしても、その私という意識それ自体が今を食い尽くすのであって、その逆ではない。とすると私という意識のないところでは結局のところ一切の今という意識はないかも知れない、ということになる。差し当ってそのことは一先ず置き、それよりも先に本節のタイトルのことについて詳細に触れておかなくてはならない。
 私たちは第三者に対してその評定を下す時、明らかにその外観、全体的印象、行動(或いはそれによって公的に示される思想)そして身体特徴とか、要するに誰の眼から見ても一致した形容を採用する。それはそういう風に客観的な他者像というものをその者を話題にする者同士の間では少なくとも同意事項とするような事としてである。
 私の知人は最近亡くなった事は既に述べたが、その知人を共通して知る私と私の友人とで会話した彼の話題に於いては、私とその友人との間で共通了解し得ることを基軸に彼の生前の全体的印象からその故人に対する評定となって語られた。
 さて他者に対してそのように述語を与えるというのは、ある意味では、その他者の心自体は読み取る事が出来ないという哲学的問題に起因する。だからこそ逆に私たちは知人と第三者としての彼(女)について語る時、「彼(女)は変わった。」と直接的に語る事が許される。と言うことは実際彼の心の内においては何ら変化などしていず、それ迄何らかの偽装的態度を採り続けてきていて、逆に最近やっと真意を表出したとか、猫を被ることをやめたからこそ我々が彼(女)に対して抱いてきた印象それ自体を変更せざるを得なくなった為にその様に言う事が出来るとも可能性としてはあり得るし、実際そうではく本当に彼(女)は変わってしまったのかも知れない。しかしいずれかは永遠に定かにならないという事を私も知人も知っている。
 つまり第三者に対してならどんな事を言ってもそれは所詮その者に対する印象なのだから、当然その印象それ自体はその第三者に対して向けた視線の下に語る者が抱いた感想なのだから、それ自体はいかように表現しても間違いという事はないのである。
 しかしそれに対して私が私自身の外部からの印象を勝手に決定するような言辞であるところの「私は変わった」とは言えないという事は至極当然のことである。つまりある話者が私自身の内面の事とか、外部に示される行動に就いて評定を下した後で、私がその者の評定そのものを肯定したり、否定したりする時にこそ、私は会話の文脈上、端折り、「私は変わったよ。」(あるいは「私は変わっていないよ。」)などと言う事以外自ら進んで「私は変わった。」などと言うことは素っ頓狂なことだし、対他的な対話上の配慮において適切ではない。それは10でも若干述べたのだが、明らかに我々が意思疎通上、一人称的言辞において、第三者的な言辞を使用する事が可笑しいという私的言語性に対する躊躇があるからである(いきなり何の前触れもなく自分の事をあたかも他人のように語る事は可笑しいと感じる。それは私的言語があるかどうかはともかく私的な侭に相手に自らの対自を語る事になるからである。それは何か説明する際に私的な事を相手にも理解させようとして話す時の私滅却性とは本質的に異なる)。端的にそのような表明とは私的過ぎる(つまり誰かから最近の自分の心情を聞かせてくれと要請されない限り)という無意識の忌避的心理が働くからこそ、我々はそういった「私は変わった」という言辞を慎むのである。それは羞恥感情に根差すものである。この羞恥感情という奴こそ哲学的には曲者なのである。
 つまりこうである。私たちが今という意識に目覚めるのは、確かに私が何かをしている、例えば今私はこの文章を書きとめるためにワードにパソコンの画面を見ながら取り組んでいるのであるが、要するにその行為それ自体に対して客観的に認識し得る対自というものがあるからこそ、私は今をも意識し得るのである。
 話者同士にとっての他者である第三者というものは完全にその心を読むことが出来ない事から、我々はその者の印象を如何様にも自由に評定し得る事が話者同士の規約上での暗黙の前提となっているのに対し、私自身に就いては私ともう一人の話者(対話相手)との間で、距離的な意味でなく心の内側の問題として私なら知る事が出来るが相手はそうではないという意味で全く別質のものである。つまり私にとって私の最近の心持とか気持ちといったものは完全に自明であるのに対し、私と対話する者にとっては(たとえ自分自身のクローンでも)そうではない。このことを永井均は私と他者との非対称性と呼んでいる。しかし第三者の事となれば話は別である。私と私と対話する話者にとってその第三者は共通してその心の内を知ることが出来ないという意味で等距離であり(少なくとも私と私の対話する相手だけが共にいて、しかも第三者はそこには不在であるのなら)第三者に対する話題とは私と私の対話相手にとって運命共同体(場)である。私だけが私自身の最近における心の軌跡それ自体を容易に思い出す事が可能であるからこそ、それをもう一人の話者に唐突に「私は変わった」と述べることは出来ないのである。そしてその事実と私が今というものを意識し得るということはどこかで繋がっている。
 私たちにとって、端的に第三者に対する関心そのものに私の対話する相手と私が共に相対して眼差している時第三者自身は不在であり、彼について二人で話題としている時の共通体験としての確認(「今彼のことを話題にしたけれど、ところで~」と言うような場合)をする時、或いはそこに別の誰かが加わった時、あるいは私が傍にいるもう一人に向かって「今これを渡しておくよ。」と言葉を投げかけるような意思表示的な合図をする時、私が私一人で行っている例えば今ワードに文章を打ち込んでいるという行為事実に対して対自的に確認する時という様々なケース毎に微妙に異なる私を巡る状況とは存在し得る。
 勿論その個々のものは状況的な性質も様相も全く異なる。それらは少なくとも考えの上ではいずれのケースでも共通して今ということを意識し得る。しかしそれらは今意識という事だけに焦点化させると微妙に強弱があるのではないだろうか?  例えば誰かと一緒に映画館で映画を観る時と自分一人で映画を観る時の事を考えてみよう。勿論一人で映画館に行った時でも、その映画を観ている他の観客という存在を意識すれば、又別である。しかし少なくとも私は私にとって親しい友人と二人で映画を観に行った時と、そうではなく一人で観に行った時とでは微妙に今ということに対する意識に関しては違いが生じるように私は思う。
 要するに一人でパソコンの画面に向かってGYAOの映像を見ている場合などは今という意識は希薄な筈である。それは一人で映画を観に行った時と同じである。私は自分の考えを文章に纏める為に能動的にワードの画面を見つめている時とGYAOの映像を見入っている時とでは明らかに違う。後者の方は受動的であるからだ。GYAOの映像を見たり、映画を一人で観に行ったりした時は明らかに私という意識が奥へ引っ込み、当然今という意識も希薄となっている(もしそんな時に今映画を見ている私という意識をしたのなら、映画の内容とか、特に外国映画を字幕を読みながら観ている場合などは映画の台詞とかを見落としたり、重要なストーリーを掴み損なったりするものである)。 私、つまり今という意識は第三者について語る時においても希薄である。今意識とは、今私が貴方にこれを渡しておくという事とも、一緒に窓の外を歩く二人に共通の知人のことを指差して「ほらあそこに今~さんが歩いてこちらの方に向かってきているよ。」という事とも異なりはしないか?
 だからこそ逆に「彼(女)は変わった」と言う事は時間を超越した言辞として、最近発見した真理を表明する事を通して、それは今現在時点で彼がどうであるか自体より過去の彼(女)を想起し彼(女)を語る事で対話する相手にも同様に彼を想起させつつ、二人が共通して知る過去の彼(女)一般と、それと対比的な最近(比較的最近の過去)の彼とで評定しているわけだ。すると必然的にその変化自体に対する着目に主眼が置かれているので、評定的言辞そのものに今意識とは希薄である。  
 しかしその彼が今まさに窓の外を歩いていると確認し得る(まず一人だけその事に気づき、「ほらあそこに~がいる。」と言って、その後例えば私がその窓際に行って私にそのことを告げた話者の言う事の真偽を確かめる時でもいい。)時、突如無時間化された「彼の最近の様子、行動」は今例の彼(女)に対する指示となり、今意識が発動される。今という意識はある意味では指示と深く関係している。つまり話題において、何かを指示してそこに話者同士が意識を集中させる(共同注意)事が出来、それを主体にする場合、我々は今という意識を共有していると言える。今がまさに話題上でもクローズアップさせられるのだ。
 一人でパソコンの画面で動画を観ている時には、限りなく今意識は希薄である。私はあくまで動画の動きと画面が切り換わる変化それ自体に意識を集中している。しかしその様に私が書斎でパソコンの画面に見入っている時に妻が私にコーヒーを持ってきてくれて、私の書斎の扉をノックする時、明らかに私は今意識に突如変換する。  
 要するに「彼は変わった」の中には変わった事があるにも関わらず同一性としては不変であるというニュアンスがあるのだ。そこでは今意識は希薄である。しかしその彼が今外を歩いているとなると、そこに今意識が突如導入され、話題の方向性も変わって行き得るし、意識は今の彼、彼を認める今という風に突如変換される。
 つまり「変わった」とは、話者同士が共通して彼が第三者であるので、変わったに関わらず人格的な同一性としては不変である事を今意識としてではなく、唯真理として述べる性格があると言えそうだ。それはその場に彼は不在であるから、必然的に彼に対する言及とは過去での私と私の対話する相手が共通して知る彼(過去の彼)に対する表象を喚起するものなのだ。
 私は今ワードに向かっているが、その都度今を意識する事なら出来るが、今を食い尽くす事そのものは恐らく受動的な行為(映画を一人で観るとかの)であるよりは、事後的に「今を食い尽くしていた」と実感し得るというのが実相ではないだろうか? つまり映画を観終わってから初めてそう感じるのである。或いは必死にパソコンのワードに入力し終わって然る後そう感じるのである。何かに没頭している時とはどこか私は消え失せ受動的になっている。しかしそれが終われば途端にそれまでの自分が「今を食い尽くしていた」と思えるというわけだ。
 必死でワードに向かって私が文字入力している時、私は今に食い尽くされていると言うより、寧ろ今を求めている。だから醒めた目で「今パソコンのワードに入力している」という感じではない。それは能動的な行為だからこそ没頭すれば受動的になれるのであり、その時私は誰かにせっつかれて嫌々しているからではない事も関係している。嫌々そうしているのなら、寧ろ常に今が擡げてくるだろう。
 何かを積極的に、主体的に執り行っている際に私は今を求めている。しかしその求めていたさっきという事へと意識が向かえば、私は途端に「今を食い尽くしていた」と言いたくなる。
 私が何故映画を一人で観ている時にはあまり今を感じないかというと、それは端的に自己責任を担っていない事に帰着する。確かに映画の内容としてさっき観ていた画面の時制と、今現在観ている画面の時制は移り変わった。するとその時「映画の中の今」を我々は生きる。しかしそこには「私」は関わっていない(からこそ映画の内容へと没入し得る)。つまり私の関心は映画の中の登場人物に対する意識に取って代わられ、私そのものは私の至極心の奥に仕舞い込まれている。だから映画を観ている最中に私が隣に座っている人が突如、トイレに行く為に立ち上がり、私の目前を通過しようとすると、私はその時今という意識に投げ込まれる。
 私は他者と会話する時、その他者の顔を見ながら常に今を感じ取っている。しかし一人で何か考え事をしている時、私は明確に今という意識にあるわけではない。尤も今とは何かとか私とは何かに就いて思い巡らせているような場合にはそれでも多少今という意識はあるにはある。しかしそれは少なくとも考える内容以上に主役であるというわけではない。考えている内容そのものが最も大きな関心事であるなら、寧ろ今という意識はそれほど大きくない。従って考えている時は今という意識は後退しているし、今という意識に釘付けになる事は時間自体が経過し時刻が移り行くという事実へ着目するとか、要するに時間認識自体を意識した時である。尤もそれは何時でもそう切り替える事は可能である。
 中島義道の主張する様に確かに我々は今という意識を「過去ではない」という形で取り入れる。例えばさっきまで私は朝食を取っていた。そして今パソコンの画面にいつもの朝の様に向かっている。その時私は過去(昨夜の事や、それ以前の事一般)に対する薄ぼんやりとした想起と共に今という意識に一瞬投げ込まれる。しかしその意識はいつ迄も持続するわけではないし、だからと言って滅多に登場する事はないということもない。断続的にそういう意識は浮上したり、沈み込んだりするというだけである。  
 再び「私は変わった」とは言わないということの本質に立ち戻ろう。
 私が私にとって他者である誰かと語り合う時、私は明らかに私という人格と彼(女)という人格を突き合わせて共有空間を築き上げているが、その際私はその相手に対し過去の私と今の私が同一である事を前提に話している。少なくとも私の知人との会話に於いてはそうだ。しかし恐らく唯道を歩道で誰かに尋ねる時にも、私はその見知らぬ通りすがりの人に対し昨日も、一昨日も、一年前も、十年前もこの同じ私という人格であり、多少目皺は増えたとしても基本的には同じ顔をした生活者である事を前提にしてその他者に、その他者もその様な私と同様だという前提と共に話しかけるだろう。つまり私は私という偽装をして相手と話しているという意識を相手に生じさせる事を(通常)望みはしない。それは基本的に相互に他者間で人格を認め合う事、即ち礼儀である。ある者にとっての「他者との関係」とは他人に対してある者が礼儀を通した相互の人格の承認である。
 だからこそ突如私は「私は変わった」とは決して言わないのだ。そして誰か固有の共通の知人に就いて話題にする時のみ、我々は「彼(女)は変わった」と言う事を自然なものとする。それは日常会話であれ、何かに就いての意識的な対話であれ、そういった自己‐他者との意思疎通に於いて、我々は相手に対して理解しやすい形で説明し、その説明がなされている限り、極力省略すべき部分は省略する必要性と、効率を配慮して語るからだ。 
 つまり「彼は考え方が変わった」とか「彼は性格が変わった」(尤もこの二つはあくまでかなり親しい間柄の場合にはまず報告し得る事だが、一定以上親しいという事はない普通の他者に対し即座にそういう報告をする事はないが)と言う以上に、まず「彼は表情が変わった」とか「彼は容姿(服装とか出で立ち)が変わった」とか「彼の行動とか、我々に対する対応そのものが変わった」の様に印象報告をする方が先の場合が多いのが通常だが、それよりも先にその様に詳細に話し出すよりもまず「彼(女)は変わった」という言辞はなされるのが通常である。何故そうなるかと言えば、彼(女)から見た他者にとって彼(女)に就いて明確に知り得る事が彼(女)が彼(女)から見た他者に対する応対という、形式的ではないにしても尚外部的に示される表出的な事だけだからだ。だから余程その者の個人的生活について熟知しているような他人ででもない限り、通常そういう公的場でのその者の変化事実をまず報告し合い、然る後我々は初めてその者の内面に対する推測を語り合うものだ。そして何故そうなったかという推測的な会話で初めて「性格が少し変わったみたいだ」とか「習慣が変わったんだよ、きっと」と推測的会話内容となる。
 しかし通常私は、私の知人としか自分自身の変化に就いてまず語り合うという事はない。それはある程度以上に親しい間柄の場合にのみ成り立つ話の内容だ。だからこそ自分の事に就いて私が知人と語り合う時、「私は変わった」とまず省略して語り出すことはない。そういう語り出しはまず私とその知人とで共通する知人に就いてのみ省略する事が自然であり許される。つまり私自身にとっての私と、今私と相対する他者にとっての私とは絶対的に異質の事なのである。
 だから私が対話する相手と人間の考え方の変化に就いて語っていたり、「どう最近昔と今とでの考え方の変化というものを感じることがあるかい?」と質問されたりした時にのみ私は省略して「私は変わった」と言う事が許され、それ以外で、突如そのように切り出すということは突拍子もないという印象を対話する相手の知人に与えるのが落ちなのだ。
 さて次は私と私が対話する相手とが私の事に就いて語り合ったり、そこに別にもう一人居て私と私が対話する相手二人に就いて語り合う、或いは二人に共通する知人(勿論私と私の知人以外のその者が私と初対面であってもよい)も傍らに居て、その者に就いて語り合う時(つまりそこに居合わせる者に纏わる内容の話をする時)と、そうではなく二人で今は不在である共通する知人である第三者について語り合う時とでは何かそのような言辞に纏わる相違というものがあり得るのだろうか?
 あるだろう。
 それは私が会話する相手とその場で私の事と、その相手の事を語る場合、あくまで現在の自分と相手を基軸に、二人の過去(二人の間で知る共通の過去、つまり私という物語を対他的に示すような「私」<このことは結論で詳しく述べる>と相手が私に示す彼自身の物語的「私」とが運命共同体的に接触する共有の過去)との対比で語る。しかし相手にとって私の行動は未知であるし、その逆も真である。従って私が私の事を話し相手であるその者に告げる場合、私はあたかも私の事をその者と等距離で知る事が出来る様に(そう話具合を設定して)語る。勿論二人とも相手と自分が自分にとって等距離ではない事を知っている。だからこそ逆にそうである風を装う(様にに語る)のである。それが話者相互の信頼なのだ(それをサルトル的に自己欺瞞と呼ぶ事も可能だが、それは否定的ニュアンスとしてではない。ハイデッガーの配慮とか配視と捉える事も可能である)。
 しかし少なくともその場に居合わせない第三者に就いてを三人称で「彼(女)は変わった」とどちらかが切り出す場合、彼(女)に対する話題ではまず前提となるのが完全に二人に共通した彼(女)に就いての過去の行状だけになり、逆に「変わった」と述べた者の側にとっては、変わったと思われる彼(女)の行状はそれよりは最近の過去になる。その際勿論相手もまたその第三者と最近会ったかも知れないのだが、取り敢えずそのことを不問に付して「彼は変わった」と切り出すのである(そうでなければ何時迄経っても話題には入れない。だから相手もまた最近彼と会ったのなら話がしやすいというものだ)。だからその話をしながらその第三者の顔とか表情とか容姿とかを想起しつつ語る時、あくまでそれは二人にとって共通の過去の彼(女)の姿であり、今現在彼(女)がどうしているという様な疑問との対比はそれとは全く別内容の話である。
 サルトル的に言えば、過去とは即自であるから、不在の第三者について二人で語る時、その者に対する評定性そのものが既に相互に了解した事実にまず依拠しており、仮に陰口であったとしても尚、彼が不在なので、その者に対する評定性そのものが、少なくともその意見に関する限り対立している二人同士の対話ではない限り、その話題の主である彼(女)の事を二人で話題にした事(例えば陰口を叩いた事)自体が知られる事はない以上、それは相互に閉じた世界(即自)に対し相対している客観的視点を獲得しているという事だ。だからこそ二人にとってその場に不在の第三者は等距離の運命共同体=場なのだ。
 それに対し会話する二人が二人による最近の行動等の過去に就いて話題にする時、その記憶想起によって語る報告(オースティン流を適用すれば私的なコンステイティヴ)とは、端的にそれを語る者の現にある発話者の視点(トークン)を共有するかの様に振舞って今相対する他者に晒している。
 と言うことは、それは純粋客観的視点ではない、半客観的、半主観的(つまりそれを語る当事者の表情を晒すという意味で話者の運命に巻き込む形であるから)となる。そこには二人で相互に告白し合うある第三者を共通に面識がある当事者同士がある場で立ち会うという事と、その第三者の話題に纏わる純粋過去性との間の性質的な大きな違いが横たわっているのである(それは実際的な空間と形而上的話題の焦点となる空間の同居とも言えよう)。
 最後に私的な事柄を率先して語る事に纏わる羞恥感情というものについて考えてみよう。
 今までに考察したことを纏めると、まず私が相手に対し私的な事を述べる時こそ、まさに永井均の命題である私秘的事項の私的言語性を、公的な客観性へと転化させて、私固有の感情を私と相手の話者とに共通の理解可能な感情(があるものとして)へ転換する必要があるわけだが、逆に私が相手と会話する際に、その者にとって私以上に重要であり親しい他者に就いてではない限り、私と相手にとって同じくらいの親疎の間柄である第三者への言及は却って私が私の私秘的事項を報告するより、より真意を伝える事が可能である。それは私秘的報告と違って経験主体による私的で単独な私の経験でなく、その第三者と私にとっての経験であり、勿論それだって語る主体たる私の私秘的経験の報告であるには違いないが、この場合彼(女)という第三者の人格自体は社会的に公認されたアイデンティティーだから、必然的にその報告は私が私しか知らない人に就いてとか私しか知らない出来事を語る場合より、少なくとも私と私が会話する相手とが共通して知る者との経験はその共有部分として話題浮上させるに容易いとは言えるので、真意が屈折する事なく伝達出来る。
 しかし私が知り、私と話す相手が知らない他者に就いてとなるとがらりと話を伝達する事の意味は変わる。そういう私秘的事項を話せるのは親しい間柄でだけである。しかしそれでも私秘的事項の報告には、それを聞かされる二人称である相手の立場を忖度してより理解しやすい説明経路を辿る事だろう。
 さて羞恥とはこの理解しやすい説明経路を選択する事の内にある。つまりこの説明行為に内在する相手にとっての理解しやすさは、私の私秘的事項を知らないという意味では私の話し相手も、それ以外の全ての他者も同じだ。 今仮にここで述べている事を私の話し相手を、妻であれ、息子であれ、娘であれ、親友であれ、同僚であれ、要するに親しい間柄であるとしよう。しかしそれでも尚私は見知らぬ人にも理解出来る仕方で、そういった私にとって親しい間柄の人に語ろうとするだろう。如何に彼等が私と親しくても私と私以外の他者全員との間の絶対的距離以上に、私と親しい間柄の人達と私にとっての赤の他人との間の距離が開いているという事等あり得ないのである。
 勿論ある程度の私秘的事柄を私にとって親しい人は知っているから、省略が適度になされて然るべきであろう。しかし自分の感情をそのまま直接伝達することは事実上不可能である。例えば私の嫌悪する人に対する感情であるならある程度オブラートに包んで揶揄的に示すだろう。「ふざけた野郎め!」と叫ぶことまではしないだろう。そこはやんわり示すに限る。つまり相手に私の感情を共感させようと欲するという一事が全ての報告をもしこれが仮に赤の他人だったらどのように説明すべきであるかという思念に於いて報告を成立させ様とするわけだから、私は私にとってどんなに親しい相手に対しても公共的な理解可能な説明を選択する。この時私は私秘的事項に纏わる私の私的感情を、客体化して語るし、その様な客観的視点を獲得している。これは私と話し相手との共通する知人に関する第三者の噂話とも異なる経路である。その二つを比較して次の図式で示そう。
A.私と話し相手とに共通の知人に関する話題→既に客体化された話題対象であるから、その場を借りて真意を表出する
B.私の私秘的な事に関する報告的話題→私秘的事項であるが故に真意をそのまま表出する事を憚りより客体化した説明によって真意を仄めかす
 この二つの話題は全く逆の経路である。つまり前者は公的→私的という経路を、後者は私的→公的という経路を辿るのだから。
 つまりここに私的感情の表出を巡る私的→私的であるということを回避する無意識の選択がある。それは公的→公的である事の堅さそのものの回避と表裏一体であると言ってもよい。このような中和作用を採用した初めて我々は説得力というものをいくら親しい間柄でも保つことが可能となる。そして羞恥とは私的過ぎる事の話者相互の回避戦略である、とここで了解されたのではないだろうか?

Tuesday, October 2, 2012

時間・空間・偶然・必然_意識という名のミーム<科学で切る哲学、哲学で切る科学> 16、意味の領域

 私たちが他者と会話する時、その伝達的意味内容を相互に理解し合うために、まず必要なこととして存在するものは、語彙そのものの意味、語彙と語彙の連関作用、つまり文章とか、会話志向性といったものの意味内容といったものである。そこでこの節では意味のあり方とは一体どうなっているのかということについて考えてみたい。
 意味とは概念的な規定性として私的なあり方とは関係なく公的なものとして存在する。しかしその公的な存在の仕方というのは、ある言語を使用する共同体、民族、国家といったものの総意である。そしてその総意とは時代毎に微妙に変化してゆくが、その変化に対応していけるような形で社会に参加している全ての成員たちが理解出来るような形でのみその変化はなされていく。それは言語学者で記号学者でもあったソシュールのラングが示していたことでも了解出来る。
 しかし重要なこととは公的な語彙、語彙同士の連関の意味作用そのものは、例えば総意が明確な事項に関してはより明確な総意を成員間相互に理解し合えるが、公的規定として総意が成立し難い領域というものもある。例えばそれは社会制度とか、法規制的事項ではなく、もっと抽象的なことである。愛とか生き甲斐とか、幸福とか、価値といったものは、憲法とか、規約といったものよりもより解釈が自由であることを積極的に求められるし、それだけではなく、その都度論争される可能性も大きい。また心の中のこと、意志とか、欲求とか、あるいはより抽象的な自我ということになると、一層我々は一律的な公的規定として意味を定義することが難しくなる。そこでここでは公的な規定ということにおいて、語彙の示す意味が揺らぐことそれ自体について少し検証してみよう。
 ある語彙については時代の変化にかかわらず、誰もが「こうである筈だ。」という考えが一定しているものはある。私的感情によって行動される殺人はモラル上、哲学的思惟を一旦除外して考えると、よくないことだ、という了解はほぼ時代とは無縁に一致している。また愛情や友情といったものが人間関係において大切であるということもまた一定しているだろう。しかしそれらは丁度、大気の中に含有される窒素の濃度とか、重力とか重力加速度とかいったものと異なるのは、そのことの意味を考えることは重要であると誰もが知りつつも、その意味の規定の仕方はそう容易に総意を得ることが困難であるということである。そして概して哲学用語とか精神分析用語というものは、そういった総意規定が困難ではあるが、同時に問うこと自体には意味があるとされるものの中に位置していると言ってもよいだろう。
 学問的領域としてほぼ人類全てが総意として示しあえるような概念に関して我々は意味の領域がほぼどの民族においても一定しているということが言えるのなら、我々はその語彙の意味の総意は揺らぎが少ないと言えるだろう。しかしその語彙そのものが極めて日常生活上も、言語を通して考える上でも重要であるということがはっきりしている場合でも、その概念規定ということとなるとそう容易ではないものの中に愛情といったものがあるのなら、それは存在規定的には明確であるが、意味規定的には総意を得ることに揺らぎがあると考えてもよいだろう。
 しかし翻って考えてみれば、ある語彙に関しては、少なくとも相互に意志伝達する場合に、意味規定がしやすいものとは概して物理的な事物、現象を示す語彙であり、その概念の存在そのものは重要であることは自明であっても、その規定に手間取るものとは、より心の領域に属する抽象的概念の語彙であると言えるだろう。それは少なくとも一般的な意味の了解という観点から、その語彙を使用する成員間の総意というレヴェルにおいてはそうである。
 例えば哲学者間で、超越とか、ア・プリオリとか、最も頻繁に使用される語彙に関しては、より総意は明確であるが、その語彙をどのようなケースで使用するかということになると、ある意味ではかなり成員間に揺らぎが生じる可能性が大きい。しかも責任とか、権利とか、自由というような社会概念に関して、あるいは自我とか意志といったより心の内部での様相を示す語彙に関してその意味規定に関してさえより揺らぎが生じるということは言えるだろう。要するに意味の領域は一方でその語彙を使用するケースにおける揺らぎにおいて、他方その語彙の意味規定そのものにおける揺らぎにおいて、つまり前者は意味領域そのものが日常的な会話や対話そのものの中でどのような位置において使用されるかということにおいて、そして後者は使用する際に話者が意図しているのは、どのような意味規定であるかという語彙そのものの持つ意味の領域において(例えばある者はある語彙をより限定されたものとして使用するが、別のある者はその語彙をより使用範囲を拡張して使用するといった)考えられるだろうということである。
 そして結論的に言えば、使用者相互の総意が確定的なものほどある語彙においては、意味領域設定の適用範囲は狭まり、限定されてくるが、逆にそうではないものほど拡張されるということは言える。そして拡張範囲の広い語彙ほど意味領域設定規準と意味領域そのものの揺らぎが大きいと言える。
 しかし対話とか、創造的な会話というレヴェルでは極めて語彙の意味の揺らぎそのものを発掘することが求められる。つまり語彙の意味領域設定の意表を突くようなタイプの仕方こそ、その発話者、発言者による創意工夫とか創造的才知を他者に示す機会だからである。ある意味では語彙とか文章とか、発話内容の意味といったものは、そのように一律に確定的ではないということは、そのように対話や会話の際にその都度固有の発話行為のあり方という事実によって少しずつ変更され得るのだし、またそのようにその都度の揺らぎがあるということは、完全に意味規定されている語彙などというものがこの世には一個として存在しないということの証拠でもあるのである。
 もっと明確に言えば、語彙の意味の応用、適用範囲の未決定性こそがその都度の対話や創造的会話を意味あるものにするし、我々がそのように発話行為へと臨むモティベーションそのものの存在理由でもあるのである。
 そして概してある語彙そのものの意味領域の設定方法とか、意味領域の設定をどのような内容の話題でするかということは、その語彙を巡る発話者の個人的な経験とか、人生観とか要するに私的な体験的事実、個人的な感情にも左右されるということである。何故ならある語彙を通常とは違った形での意表を突く話題に際して使用するという創造的なあり方とは、その語彙を巡る意味内容とか意味作用そのものに対する意表を突く連想であるから、当然そういった創造的(そうであるということは他者に対して意表を突くのにもかかわらず、的外れではないということだから、要するに説得力があるということである。)な語彙使用の仕方という意味領域設定と意味領域拡張とは、個人的私的、体験的な意味了解の世界に起因する表現となるから、そういう語彙の使用の仕方をして発話行為参加者に説得力を持った場合、個人的なこと、私的なことの公共的価値転化に対する可能性の確認というその試みの成功であると言うことが出来るだろう。

Wednesday, September 26, 2012

時間・空間・偶然・必然_意識という名のミーム<科学で切る哲学、哲学で切る科学> 15哲学と科学

 科学では偶然を記述することは出来るが、偶然を解明することは出来ない。何故だろう?
 それは記述という行為が、偶然の必然化だからである。そして科学とは一般に偶然の必然化のことを言うからである。そして何か偶然的なことを記述した瞬間それが必然化されるということは、未来に対して過去と同一のことが起こるかも知れないという目測、あるいは安穏とした不安を打ち消すようなタイプの楽観的な思惟そのものが無効であり、私たちにとって記述される偶然という言葉そのものが語義矛盾であるからである。(その意味で永井均と中島義道は正しい。)
 何故なら偶然という言葉にはそもそも「そう滅多には怒らない」というニュアンスがあるからである。実はこれが曲者であり、たまたま起こったことというのは、それ自体で一つの特定の見方であり、つまり「たまたま起こったのだが、前もって決まっていたかのように感じられる」そういう固有の偶然というニュアンスがあるのである。
 そして科学とは本来奇蹟の排除であるから、偶然という思惟を嫌う。しかし偶然という思惟を嫌っても、自らそういう風にそれを必然化するという矛盾を避けるわけにはいかないので、科学には本来偶然という私たちの心が生み出したある事象に対する認識願望の絶対的定着という本能が潜んでいるということ示している。それは科学で言うところのペトワック(PETWACK、つまりPopulation of Events That Would Have Appeared Coincidental)、生物学者の福岡伸一は次のように翻訳している「本来偶然にすぎないのに、なにか関係があるように見える事象の集合」ということを科学が避けると標榜しながらも実は絡め取られているということである。  
 ちょっとそのことと離れて考えてみたいことがある。
 空間に意識があるということは、科学では非常識であるが、実は科学で意識が証明出来ない(デヴィッド・チャーマーズの言うことが正しければ)以上(あるいは科学で空間に意識などないとも証明されてはいない以上)、哲学的に空間に意識があるという可能性を否定することは出来ない。
 意識とはそれを一元的に捉えた時、神から与えられし、最後の仕事として神秘化し得るが、意識は多元的であると考えれば(チャーマーズ的にではなくデネット的に)、我々の意識も所詮空間の意識に我々が身体を実在的に、偶然同化させられる様に与えられた結果、意識を特別のものと感じざるを得ないことになっているという可能性を否定することは出来ない。
 つまり我々は身体を介して実在的存在であるからこそ、痛みとかクオリアとか色々なことを承知していると「考える」わけだが、実は身体という存在を離れて我々が何か特定のことを感じることというのを体験し得ない以上、かつてヒラリー・パットナムも示していたように事物にも人間が意識と考える特化されたものと等価なものがあるかも知れないという示唆から発展させて考えれば、意識と等価なものが空間にもあれば、我々はそのものの上に身体という実在を与えられ、そのために意識と言えるようにそれを感じるだけであり、従って私たちは死ねばその空間の意識と呼べるようなものの一部になり果てるだけで、その生きている限り体験することは出来ないその空間の意識の一部という感覚は恐らく我々が身体という実在を得ているがために経験することが出来ない、つまり意識という存在を信じることそのものが、死んだ時に虚妄なことであったという示唆であるかも知れないである。
 つまり我々は意識というものをそれが「在る」と錯覚している、あるいは脳によって錯覚させられているという 前野隆司の主張は、俄然説得力を持つ。前野がコリン・マッギンのことを知ってそう主張されているか私は知らないが、意識が錯覚であるかも知れないという主張は、一面では我々が死んでも魂というものは残るのではないかという期待を我々に持たせるものとは本質的に違うかも知れない。
 つまり空間にもし意識であると我々が思うものと等価であるようなものがあるとすれば、それは無であることが有であること(例えば我々が意識を実在していると感じること)とは本質的に違う様なタイプの、しかし今まで我々が考えてきたようなタイプの無ではないものを認めることになるが、有であると我々が考えている意識のあり方そのものを錯覚だと我々に考えさせる当のもの(私はそれを脳の仕業と取り敢えず考えたのだが)が身体を通して有であると我々に感じさせ考えさせるというそのことが、その空間の今までただの無であると考えていたようなものではない無のあり方、つまり空間にあるかも知れない本来は意識と等価なものに眼を向け我々はそこにただ身体を与えられたという事実をまず直視せよ、と私に語っているように思われる。
 身体の実在そのものが、ただ単なる身体という実在であると我々が考えれば耐えられないからこそ、そこに何か価値があるようなものであると感じさせる脳の仕業が意識を特化したものとして捉えさせるだけのことである。これは一面では身体存在を通した一種の唯物論である。しかし従来の唯物論と異なるのは、ここでは空間の無がいささか有であると我々が自分たちの意識を特化しているようなものではないけれども、決して空無なだけではない何か我々がそれを意識と感じ、考えるものの根幹をなすようなものであるという無の背景があるということである。
 ではそもそも何故意識というものが一元的に語られるのかということについて考えてみよう。
 我々は睡眠時には確かにある種の無意識状態にある。しかしそれは完全な死の状態とも違う。脳は睡眠時にも働く。しかし睡眠があるから意識する覚醒時というものを我々は明確に知ることが出来るということもまた確かなのである。
 そして覚醒時において我々は、ある意味では多層的な心のあり方をする。例えば今このようにワードを打ち込んでいる私はさっきまでベッドで寝ていたことを想起しつつ、数日前に哲学塾の同僚たちとファミレスで飲んだ時の会話のことを想起し、その会話の前の塾での内容を想起している。そして明日どのような内容のことを入力し、どのような読書をしようかなどと考えている。そしてもう少ししたらトイレに行こうとも考えているし、喉が渇いたので、お茶を飲もうとも考えている。そういう心のあり方は一元的ではなく、寧ろ常に雑多な複数の思念に彩られていると言った方が正しい。
 しかし一方ある一つの思念を基軸に捉えれば、その意識に対して対自的に考えれば、意識はまるで一つのことででもあるかのような様相で我々の心に迫ってくる。
 つまり意識が統一されているかのように考えるということは、対自的な意識の「意識に対する心の持ち方」によってなのであり、寧ろ意図的な「構え」によってであることが了解される。しかしでは何故雑多な心のあり方をその様に一つの纏まったものとして我々は意図的に了解したいのだろうか?それは我々が我々自身の存在を「一個の存在者」であると同一性として了解したいからである。これはある意味ではそういう風に心の「あり方」として意味内容的に記述するということでもある。
 つまり「心のあり方」という記述そのものが、あたかも意識の方向性を一方向へと向けられたものとして我々を錯覚させるが、その記述とは、実は我々自身の同一性に対する要請からなされたものなのである。
 ペトワックへと戻ろう。中島義道は、このペトワックと関連のあることとして次のように述べている。(「生きいくい···私は哲学病」72ページより)  
 予言者は未来を見透かす者ではない。なぜなら、何もないものを見透かすことはできないのだから。そうではなく、予言者は未来に科学的予測による幻想的意味とは別の幻想的意味を与えるものなのだ。われわれは、その威力にしばし抵抗できなくなる。科学的予測の威力が限定されていることを知っているからである。しかも「私の死」という私の最大関心事において、いかなる威力もないことを知っているからである。
 予言者たちが一定の関心を我々の社会で払われるかとは、中島の指摘のように、科学というものの予測の限界を、不測の事態の勃発ということに対する経験則から我々が知っているからなのだが、その不測の事態の勃発可能性そのものが、通常あるだろうと予測されるものとは違った形での「未来のあり方」を示す行為に我々が関心を払うということにおいて予言者の発言が成立しているということである。
 そしてそのように我々が関心ある「未来のあり方」そのものが、記述可能対象として我々に現前している以上、我々は記述というものを実在しているものだけではなく、未だ実在していな将来とか、過去において「こうであったかも知れない別の可能性」という形で対象化し得るということは、実在しているものと、実在するかも知れない可能性のあるものとを等価にするということ、即ち実在と想像を、あるいは現実と虚構を同一地平に設置するということを心的に常に行っているということをも意味する。
 またそのような実在と、その実在を基にした表象としての虚構、あるいは想像的な像を同時に心に留め置くことが出来るということが、実在するものの一般的な性格とか、そのものの間の相関性とか要するに法則的真理を発見する能力へと繋がり、その真理発見という一つの理解、それは必ずしもその実在や実在物同士に対する理解の全てではないのだし、そのことを我々は重々承知なのだが、その理解を記録したい、その理解し得たという事実を留めて置きたいという願望が記述を可能にする。その記述の行為がより拡張し、予測ということも出てくるわけである。すると科学は記述し得る範囲の広範さを知り、その記述能力そのものを確認するという欲求充足であると言える。そして哲学はその科学の欲求充足性そのものに対して一定の評価を与えながらも、そこに安住することに対しては痛烈なる批判をつけ加えるということなのである。
 しかし問題はまだある。それは過去の記憶のことである。例えば私は今現在四十八歳と半年生きたわけであるが<注、本論文は四年半前のものである。前章では現在時点へ直したが、本記事はそのままとした。>、幼少の頃のことを、数日前のことと等価には感じられない。つまり古い記憶とはそれがどんなに掛け替えのないものであると知っていても、実は数日前の自分の行動とか、周囲の人たちとの会話等の記憶とは異なったものであることを知ってもいる。
 つまり私は私が幼少の頃のこととを今現在の私と同一の人格として私は了解しているのだが、今の私の気持ちと、幼少の頃の気持ちとでは同じところも在るだろうが、全く異なっているところもあるのである。その時果たして同一性という認識を持ったとしても、今現在の私と幼少の頃の私とでは人格的には全く同一ではないと言っても過言ではない。つまり私はそれでもその幼児や少年、あるいは青年の頃の私というものを今現在の私と同一の人格として認識するのは、一面では私がその時何をしていたかということの記憶を、あの9.11の時、ジョン・レノンが殺された時、東京オリンピックの時というように私は時代順に羅列することは出来るが、私が生まれる前の出来事であった終戦の日の東京の様子などは、完全に私が私にとっての過去として述べられることの延長として、私が生まれる前のことを周囲の人々の証言や記録によって類推して日本の出来事、世界の出来事として語らざるを得ず、そのようなものに近いものとして私は私が幼少の頃の記憶を辿るという一面はあり、それはこれから益々もっと私が年老いていくに従ってそうなってゆくことだろう。
 つまりあまりにも鮮烈で忘れられないことというのはあるかも知れないが、所々思い出すのに苦労するようなことというのは私が私の過去としては語られない終戦の日の東京の様子と同様、どこかで類推しながら語ることとなるだろう。
 そして問題となるのは、どのくらいの期間が経つことによってそのような類推というものが必要となっていくのか、それは時間的な長さによるものなのか、それとも出来事の内容によるものなのか、勿論その両方がかかわるだろうが、記憶する時に何を自分がしているかということとも関係があるだろうということも言える気がするが、記憶する時点の自分の精神のあり方と、記憶する時の自分の立場、普段していた行為、今普段している行為、かつてと今の生活状況と、記憶するのが過去のどんなことについてなのか、その記憶内容の選択の問題である。
 と言うのも記憶という作用は、能動的に思い出そうとすること(そういう場合は覚えておきたかったのに、忘れてしまっていることが多いが)と、忘れたいのに忘れられないこと(そういう場合は後悔とか、屈辱的なこととして忘れたいのに忘れられないということが多い)などが常に共存しているということがあるからである。記憶の内容というものは、楽しいことで記憶していることを能動的に思い出したりすること以外にも実に多くの思い出し方というのがある。常に思い出せることもあれば、ふと思い出すこともあり、その思い出し方というもののあり方そのものもいずれ考えてゆかねばならないだろう。  それは恐らく哲学的問いであるが、科学の力も多分に借りることが必要かも知れない。

Tuesday, September 25, 2012

時間・空間・偶然・必然_意識という名のミーム<科学で切る哲学、哲学で切る科学>14 公的なことと私的なことと実存、神

 我々は日常的に他者というものの存在をどのように捉えているのだろうか?例えば私にとって両親もまた他者であるなら、兄弟もまた他者であるが、本質的にその捉え方はあくまで哲学的私というものを規準にした時のことである。しかし社会、そして仕事、あるいは公的な義務ということを考える時、他者とは要するに家族とか親族というものとは違った要するに他人のことを指すと考えてもよいだろう。
 物理的な時間というものの観念は、ある意味では全て自分とか家族とか親しい人の間で繰り広げられるものであるよりは、全く見ず知らずの人同士が接点を持つ社会というものを想定していると考えてもよいだろう。要するに私利とか、私欲を離れて、公的な規準として時間という観念が人類に育まれてきたということである。
 私は中島義道氏の私塾である「哲学塾カント」に参加していたこともあるので、必然的に哲学の恩師である氏の引用を多くしてきたが、本節でもまず氏の「働くことがイヤな人のための本」より仕事というものの定義に纏わる記述を掲載しよう。(138~141ページより)
<(前略)広い意味では、料理・選択・掃除といった家事も仕事なら、子育ても立派な仕事だ。こういう金にならない仕事を社会学者はシャドーワークと呼ぶ。家事にもし賃金を払うとすれば、月額数十万円になるはずであり、金を払わないゆえにこうした仕事を社会的に日陰の位置に置き、戦略的に女性の地位を低くしている、という議論があることは承知である。
 だが、ここでは私はやはりこうした仕事を除外することにする。家事が仕事として低級だからではない。これらの仕事は、夫・子供・親・兄弟姉妹等々、特定の他人のための仕事であり、そのかぎりでそこには仕事のもつ客観的評価の面が曖昧になるからである。家事に対してたいそう要求の多い夫もいることだろう。子供もそうかもしれない。しかし、そうであるとしても、それは労賃を得てなす仕事とは根本的に違う。 
 具体的に考えてみよう。いま私の妻子は外国にいるので、私は月に一度D清掃会社に頼んで水回りの掃除をしてもらっている。女性二人が二時間かけて掃除をする。これは仕事である。なぜなら、彼女たちに金を払っているかぎり、私は掃除の完璧さという結果だけを求め、それが達成されないとき容赦しないから。「出がけに頭が痛かったので」とか「病気で寝ている子供が心配で」とかの人間的な弁解を私はいっさい認めない。私は彼女たちの人間全体とではなくその労働力だけと契約したのであり、その結果を達成する労働力に対してのみ、金を払っているのだから。
 考えてみれば、人間としての情を抑えつけたこうした契約関係とはずいぶん不自然なものだ。母親としては、病気で寝ている子供を心配しついミスを重ねてしまう、というのが自然であろう。しかし、これが許されないのが仕事なのだ。程度はあるが、契約して金をもらうからには、その仕事が達成されないとき、いかなる弁解も許されない。それが仕事なのである。
 普通の家事ではそうではないであろう。普通、掃除より病気の子供の看病が優先するであろう。それが人間的重要さであろう。だから、逆に言えば、それは厳密には仕事ではないのだ。社会学の古典的用語を使えば、血縁が中心となった親密なゲマインシャフトと利益追求をおもな目的とするゲゼルシャフトの違いである。後者の冷酷な社会こそが仕事を成立させるのだよ。 (中略)
 言いかえれば、仕事における他者とのかかわりは。不特定の他者でなければならない。きみの労働力(作品)に対して、不特定の他者が代価を払うことを期待できるのでなければならない。ある人が夫と子供のためだけに家事をしているのなら、彼女は仕事をしているのではない。同じように、ある人が親戚と知人だけに絵を売っているのなら、その作品がいかに優れていようとも、彼(女)はプロの画家ではない。ある人が自分の小説を知人に無料で配っているだけなら、それはいかにおもしろくてとも、彼(女)はプロの作家ではない。
 その労働によって金を得ること、これは仕事と切っても切れない関係にあり、仕事の本質を形成する。なぜか?そのことによって、われわれは真っ向から社会とかかわるからである。甘えは通用しないからであり、苛烈な競争が生じ、自分の仕事に対して客観的評価が下されるからだ。「客観的」とは公正という意味ではなく、不特定多数の市場における容赦のない評価という意味だけれどね。ここにあらゆる理不尽が詰まっている。だからこそ、われわれが生きてゆくうえでたいそう重要な場なのだと言いたいんだ。>
 中島の主張には社会という場が自己と自己にとって馴染みのある家族や親族、あるいは友人といったものだけではなく、全く赤の他人同士という関係において成立することの現実的不可避事実と、それ故に生じる問題が、一面では苛烈であるが、他方それであるが故に責任遂行とか義務履行とか社会的責務一切を踏まえた上で獲得し得る個人の自由という観念と結びつく、言わば諸刃の剣であるようなものであるというものである。要するに自由とは先験的に与えられているものではなく、意志と努力によって勝ち取るという性質のものだという主張がある。人間が権利を主張し、自由を得るのは、それなりの代償が必要であるということは、社会の公正と公平の原理から言って当然のことである。もし社会的な意味である個人が存在理由を持っているとしたら、それは端的に責任を果たしているということの評定の上で、であろう。
 しかし同時に、元来仕事というものとは、人間が社会という場で、何らかの存在理由を見いだすということに帰着するわけだから、必然的にその仕事をするという行為は、生きて死ぬという運命を実存として引き受けることである。それは他者間相互に予め認可し合っているという暗黙の了解の下で成立した責任倫理なのである。例えばもし人間が死なないのであるなら、我々は仕事などしないだろう。
 要するに仕事とは、いつかは死ぬ人間たちによる生きる意味の発見への到達不能の旅の鳥羽口であり、死ぬ準備、つまり哲学することはその言葉による問いであるが、身体を通した問いこそが仕事である。そして仕事とは端的に仕事をしない時間の獲得された自由とか権利そのものの有意味性を自覚するためのものであり、そのためにハレとケがあるような時間の区切り、時間の切り替えというものが存在するのだ。だからこそ我々は祭りをし、オリンピックを楽しみにし、選手たちはその時に向けて体調を整えるのだ。
 人間は心の中に神を持った。それはフォイエルバッハが指摘したようにである。人間の心が生み出した虚構としての神が人間を創ったとしたら、人間は既にその時点で現実よりも虚構にこそ真実を見いだすことを価値として生きることを選択したこととなる。
 我々の脳は現実の事物、現象の全てを知覚し、その知覚によって想起したり、記憶したりする。不在をもって何かを表象することと、未来の姿を想像すること、あるいは実際に現場にいずして、その現場での出来事を想像することが出来るのは、現実界に対する知覚や感覚と、表象や想像による非実在に対する思念とが共存するということに他ならず、要するに現実に虚構を重ね合わせるということを常に脳内でしているということであり、何かを知覚したり、実際にものを見たりしている時でさえそうしているのである。(これは廣松渉の指摘していることである。12、文化とは何か 中 ページ参照)
 つまりその時点で我々は既に生きることとは、端的に現実に脳内での虚構を重ね合わせることであるということを知ることが出来る。
 例えば社会とは人間の虚構である。あるいは生活とは人間の虚構である。思考とは脳内の虚構である(しかしそれらは実在する現実としての虚構である)。自然全体が現実であるとしたら、人間はそういう虚構を自然に対して、自然に対する抵抗として捏造(敢えてそう言い切ってさえいい)せずには生きていられない。聖書は端的に自然に拮抗する人間の創意工夫としての虚構である。
 だから私的なことに対して公的であるということを選択することが既に一つの虚構的行為である。と言うのも、私的であるということは既にその時点で、公的であることのもう一つの選択肢として用意された権利であり、私的であるということが、例えば職場に対して家庭であることを更に一歩進めれば、家族という他者に対して私的であるとは、最早脳内での思念しか残されていない。すると私的であることとは、社会を一方で構成する人間が、構成員としての意識を生み出す場である。そして私的であることが、既に社会という公的な場を思念的必要性において生じさせることであると我々は捉えることが出来る。
 つまり仕事は、仕事外の価値を見いだすために設けられた人生という物語の節目を作るための基準である。仕事をし、休みを取ることの反復それ自体が、一つの「ただ生きる」時間を「人生」へと変える。つまり仕事と休みという反復それ自体が生を物語という位相へと転化させるのだ。我々は端的に物語を生きる。しかも自ら作った物語を。その物語とは実際のところ、「人生」に意味を見いだすためのものなのである。
 では何故意味を見いだす必要があるのだろうか?
 私はそれを我々が現実を現実として「読み取る」ことと、現実を現実として「読み取る」ことの非現実性というものとの乖離にその根拠があると考える。
 つまり端的に現実の行為の全てが一つの非現実的虚構であるということ、そして虚構それ自体が一つの大いなる現実であるという認識が私たちを日常とそれを支配する時間を認識させるのだ。時間は一面では極めて人間による認識虚構である。何故なら時間とは「ない」からに他ならない。あるのは変化と、過程と、今はないという不在とその認識(記憶に支えられた)と、幻想的な未来に対する思念だけである。未来がないという意味で中島の主張は正しい。
 私的であることが公的であることのもう一つの現実であると我々に認識されるのは、実は公的であるという虚構、つまり社会的規約という虚構が私的であることの内に、つまり「一人でいること」の内にあることの根拠とは、端的に一人でいることとは、「集団でいること」、「他者と共にいる」という現実によって与えられるということを知る時、一人でいることを他者、及び他者たちと共にいることを社会と呼ぶなら、まさに社会という虚構が、「一人でいる」ということを与えているのだから、当然一人でいて何かを考えるということが社会という虚構によって初めて存在理由を与えられているということだからである。つまり「一人でいる」現実そのものが社会という虚構によって生み出された現実であるとは、現実とは虚構によって生み出されたもう一つの虚構であるということに他ならないからである。よって次の図式が与えられる。
 現実<我々の存在>→虚構<社会>→現実<「一人でいること」>
 しかし我々が我々の存在を知るのは、我々の言葉によってである。するとこの図式に実際には次の前提が与えられる。
 虚構<我々の言語>→現実<我々の存在>→虚構<社会>→現実<「一人でいること」>
 そして「一人でいること」は必然的に脳内の思念によって満たされる。それは言語的思考を必ず伴う。そこで次の結果が与えられる。
 虚構<我々の言語>→現実<我々の存在>→虚構<社会>→現実<「一人でいること」>→虚構<我々の言語>
 ここで円は閉じる。
 ここで再び我々が現実を「読み取る」ことの内に存する虚構という現実に突き当たる。この図式で我々によって告げ知らされることとは、実は現実という認識それ自体が大いなる虚構であるということ、そして現実とは虚構のないところでは成立しないということなのである。
 我々が公的であることの内に責任を認識するのは、実は責任を感じるということが、私的なことの内にあり、その私的なことの内にあるという認識そのものが公的なことの内にあるからである。ここで次の図式が与えられる。
 現実<我々の存在>→虚構<我々の社会・我々の言語>→現実<私生活>→虚構<私生活上の公的なことに対する思念・想像>、即ち
 公的なものの内の私的→私的なものの内の公的→公的なものの内の私的→私的なものの内の公的
 我々の存在の内に私を認める私にとっての<我々の存在>とは、実は最後の虚構<私生活上の公的なことに対する思念・想像>という脳内の思念において生み出されるのだから、この図式はどこまでも円環するのだ。
 我々の存在を私が思念することの内に私は社会参加し、そこで言語を使用する。そして言語使用することによって私は現実の私生活を受け容れる。現実の私生活は社会とのかかわりでしか得られない。そしてその私生活上において我々は再び我々の存在ということを私の中に、私の存在を位置づけながら他者をその事実を確認するために求めるのである。何故他者を求めるかというと、それは私が生きている限り対自的存在であるからである。
 これは一面ではサルトル的な視点の獲得である。しかしそれだけではない。何故ならサルトルは役割を演じることは出来るが、自分自身は演じられないと考えている(「存在と無」)からだ。しかしそうだろうか?そもそも私たちは私たちの身体を演じることは出来ない。しかし身体に対する自分は演じられるのではないだろうか?
 例えば病気の時にも治癒された精神でいようと心掛けることなら出来る。それでも快復の見込みのない場合もあるだろうが、少なくともそのように自己欺瞞することなら出来る。しかしサルトルは一方で自己欺瞞を認めつつ、他方それを否定する。
 私たちは「人生」という虚構、つまり物語を通して現実を初めて知る。私たちは自分たちで自分たちの実在に色を添える虚構であるという物語を通してしか現実を知り得ない。と言うよりそもそも物語の認識のない現実というものなど存在しない。存在し得るものがあるとすれば、それは身体を身体たらしめるキネステーゼ的な有機物質の凝集体それだけである。しかしその凝集体そのものを我々は身体と定義し、そのように身体と定義する精神を我と名づける。この認識を得た時点で我々は「人生」を生きている。それはただ凝集体として物質存在であるだけではない。ただここで、言葉による思念を中心に考える立場と、言葉以前の身体キネステーゼ的凝集体を実在的に捉える立場とに哲学は別れるということである。これは次節以降最も重要な命題となっていくが、12、文化とは何か においても実は詳しく考えていた。図式内のこの部分を思い出して欲しい。
 現実<「一人でいること」>→虚構<我々の言語>、つまりこの「一人でいること」の選択は社会的行為として言語が介在しよう。しかし物理的に「一人でいること」は、身体キネステーゼ的実在の限定空間内での孤立を意味するから、それは必然的に非言語的状況であるとも言える。しかし我々はすぐさまその環自己身体状況そのものを脳内で言語化してしまう。この一瞬の空隙をどのよう考えればよいのだろうか?(それは我々の意識的生において睡眠や仮眠といった無意識の生活事実が存在することの意味とも関係がある。)例えば我々は疲労時には明らかに「一人でいること」ということの内にある他者とか、他者が集合した社会の実情へと一々思いを向けずにいることもある。しかしこれは周囲に人がいる時でも我々は日常経験していることである。他者の声が上の空である場合などもこれに当たる。
 「ただ生きる」という状態は端的に身体キネステーゼ的凝集体であるところの有機物質として存在することを意味するが、我々はそれを「人生」と認識する一瞬の空隙にはやはり「ただ生きる」こともまた引き受けている、あるいはそうならざるを得ないとも言えるのではないだろうか?それは日常的なこととしてである。
 これは中島のテクストでしばしば告白された自己青春において経験済みの引きこもり的生活も含まれるかも知れない。つまり何も考えずにどれだけ長いこと生活することが出来るか試してもよいとさえ氏はカイン型の人間に語りかける。その提言にはある意味では敢えて「ただ生きる」ことを引き受けることを通して日常的な瞬間に我々が経験するそういう状態を知ることの可能性を示唆しているとも言えるのである。
 公的なこととして位置づけられる仕事とは「ただ生きる」ことを言語が拒否するということに対する認可以外の何物でもない。それは人間的な実存を見据えるということでもある。「一人でいること」はそう意識された瞬間「ただ生きる」ことを言語が拒否するということである。それは空談を対話へと転換させようと試みる我々の日常の対他的な意志にも適用出来る。
 人間存在は全ての述語からはみ出るということをサルトルが「存在と無」で主張しているというのが中島によるサルトル解釈であり、それは全く正しいと思うが、それは一面では言語の無力を指示し、言語がいかに実存を裏切るかということをも指示す。それは人間存在を定義し、形容しようとしてその定義、形容の全体を統合しても、更に人間存在の全体へと決して至らないということであり、それは逆に身体キネステーゼそのものの有機的凝集体としてのあり方そのものの把握が不徹底であるということと、仮にそのような凝集体としてのメカニズムを完全に理解し得たとしても尚、脳内の現象、つまり脳が何を思惟し、何を思考し、どういう志向を持つかということが、私たち自身、つまり「ただ生きる」ことを拒否した我々の脳内の意志、つまりその都度言語に助けを借りる我々の意志そのものを外在主義的にメカニックに理解しただけでは完全ではないからだ。それはチャーマーズの主張する物理特性からはみ出る現象特性という神に与えられた最後の仕事となるが、永井均氏は<それは神にさえ出来ない>とする。(「私、今、そして神」)永井は更に<神は過去を捏造することも出来ない>としている。
 チャーマーズは神による最後の仕事を意識そのものの論理的非解明性、そして現象特性としての意識の非物理的側面として見ている。永井は明らかに神の我々に対する仕業を有機的メカニズムが用意されるまでに限定している。そのお膳立てが神によってなされた後、個々の存在者たちがどのような気持ちで「ただ生きる」ことを拒否するかは、端的に個々の責任であるという主張とそれを解する限り、永井は無神論者であるが、チャーマーズは違う。意識という特性、それをも神の最後の仕事と位置づける以上、有神論者である。
 しかもそれは意識を特化させるために設けた自己信条論理正当化の目的論的な有神論である(これは次節以降詳しく見ていくこととなる)。
 今仮に私が私のことをあらゆる述語を使って自己言及したとしよう。あるいは私が私と相対する他者のことをそのように言及したとしよう。しかしそうしながら、私は私のことを他者として見つめる他者の視線から捉えられた私を知ることは出来ない。勿論想像することなら出来る。しかしそれは私にとっての他者のあり方という形での言及以外のものにはなり得ない。従って私は私という存在のあらゆる属性、私の目前の他者(今度は逆に彼<女>の存在をその立場、視線から私は語ることが出来ない。)の属性を語り尽くしたと思えても、それはただ物理的時間を先後関係という秩序の中であらゆる出来事の事実確認をしているだけのことで、その事実確認をする固有の「今」ということをも含む実存的様相そのものを語り尽くすことが出来ないのと同じことである。私は「私が語る」ことそのものを語り尽くすことなど出来ないのである。何故なら私は「私が語る」と言った途端、その「私が語ると語った私」というものに絡め取られ、更に「私が語ると語ったと語った私」という無限後退へと陥るしか手がないからである。つまり私が出来ることとはせいぜい、客観的事実というものを認識しながら、その事実を報告することだけである。その報告する私自身を語ることは「出来そうに見えて決して出来ないこと」なのである。
 ここにはある種の「語る」ということに内在する現象論的な身体行為としてあり方を、「語られた意味内容」という位相でしか認識し得ないという言語行為それ自体の内包的言及可能性と共に、外延的言及不可能性がある。つまり「語ること」とは「語られる意味内容」という形でしか認識することは出来ず、もし仮にその「語ること」それ自体を把握しようとすれば、それは「<語る>身体的存在」となり、その<>は明らかに形式的な把握でしかない。しかしそうなった時、我々は「ただ生きる」即物的な存在だけの音声発声装置としてしか我々自身を把握することが出来なくなり、そのことは「語られる内容」を剥ぎ取られた行為でしかないということから、それは「語る」こととは語義矛盾となるからである。よって我々は生物学的な視点からも、物理学的視点からも我々が「語ること」を遂行する「語る存在者」という認識へは到達しないということを知ることとなるのだ。
 我々は「語ること」をその意味内容を剥ぎ取って認識することなど出来ない。そうできたとしてもそれは、「語ること」という語彙の音声でしかないだろう。しかし語彙の音声を物理的に客観的に認識することが出来るのは、既に我々がその語彙の音声で表現されるところの意味を知っているからである。我々の言語習得という前提的事実があるからである。  
するとそれは私的に対して常に最初から公的であるということが用意されているような意味で、我々は「ただ生きる」ことを拒否し、「人生」であろうとするような意味で、つまり「ただ音声を発する」という問い掛けそれ自体が既に「語ること」の意味内容把握という事実に依拠していることを知るからなのだ。
 我々はただ「私的な時間を過ごすこと」が出来ないのではない。あるいは「一人でいる」ことが出来ないのではない。あるいは我々は「ただ生きる」ことが出来ないのではない。あるいは我々は「ただ音声を発する」ことが出来ないのではない。我々はそれをすることは出来るが、それが出来るのは「公的なこととして仕事をする」ということや「他者と共にいる」や「集団に中にいる」ということや「人生を生きる」ことや「語ること」と「語ることそのものを語りたいけれど、出来そうに見えて決して出来ないことと知る」からこそそれが出来るのである。
 これが、私が「物語とは実際のところ、「人生」に意味を見いだすためのものなのである。では何故意味を見いだす必要があるのだろうか? 私はそれを我々が現実を現実として「読み取る」ことと、現実を現実として「読み取る」ことの非現実性というものとの乖離にその根拠があると考える。」と言ったことの根拠である。我々は「語ること」をし、同時にその「語る私」、「語ることをする私」を敢えて語ろうとするが、それはその試みそれ自体が遂行不可であり、不毛であることを知るために敢えて語り、問いへ挑むというもう一つの「我々の人生の物語」を物語っているからである。それを我々は哲学と呼ぶ。

Monday, September 24, 2012

時間・空間・偶然・必然_意識という名のミーム<科学で切る哲学、哲学で切る科学> 13、フォイエルバッハとアンリに見る宗教に対する構え方の違い

 悟性をもって_働く存在者だけが、直接に自己自身によって明晰で確実な存在者であり、自己自身によって基礎づけられた真実の存在者である。(「キリスト教の本質上」110ページより)
 この言説が意味するところは9において私が示した宗教に対する構え方の違いをアンリとの対比で考えたことから再び考え直してみる必要がありはしないだろうか?
 「人間は完全性への果てしない希求者であると同時に、それ故にこそ不完全性から出発することを余儀なくされ、即ち不完全者として行動することを運命づけられているのである。そしてそれを遂行することが出来るのは我々による我々内部に巣食う理性、つまり神の声なのである。」と私は言った。その時神の声というものそのものを、フォイエルバッハは人間そのものの能力と捉えたが、アンリは人間を超えたものへの尊崇と捉えるのではないかと私は考えたのだ。
 フォイエルバッハはだから働く人間と言った時、そこには否定的なニュアンスはない。寧ろ神という領域をさえ育む人間の内的に潜在する能力を信頼しているし、その能力を発掘し、進化させるための弛まぬ努力をこそ労働という観念に結びつけたのではないだろうか?その意味ではマルクスたちが影響を受けたことというのは彼のほんの一面だけではなかったろうか?勿論マルクスたちもまた労働を量化された、成果主義的翻弄として扱ったという意味ではフォイエルバッハの真意をそれなりに汲み取っていたとは言えるだろうが、マルクスやエンゲルスの持つ修辞的な戦略性とは一線を分かつものとして人間の行動をフォイエルバッハは捉えていた気が私に彼のテクストの記述的なクオリアから読み取るのである。
 率直に言ってアンリは生きた時代がフェエルバッハとは懸け離れている。そのような時代性を論じることを哲学者は嫌う傾向があるが、例えば「野蛮」の中でテレビと科学技術が現代社会に及ぼす野蛮について触れている箇所(<第六章、野蛮の諸実際>)を、時代固有の社会状況を無視して考えることは出来ない。そして現代社会における労働という観念を、よりその神聖なる動機(フォイエルバッハ的な)とか、マルクス主義的な量化システムと人間性の疎外という形で捉える図式からアンリは完全に脱却している。そこでは量化されたオートメーションシステムにおける成果主義的労働だけではなく、例えば頭脳労働とか、精神労働といったものさえも、つまりインテリやエリートたちの携わる労働さえも含有するマクロ的な労働の観念そのものが内実的な翻弄とか、内実的な無為なる反復でありながらもそのことを巧妙に隠蔽するシステムとしてまさに我々が称揚するような文化という身を纏って我々に制度的に無意識に従うように侵食するものとして捉えている。つまりそれらは一種の価値観という名のミーム、しかもネガティヴに我々の存在に対して立ちはだかるミームなのである。それは次の文面からも明らかである。(その意味では「野蛮」は最も社会告発的哲学テクストであると言えるだろう。)
 ところで、もう一度言っておくが、このエネルギーが用いられているのはたんに芸術作品だけではなく、文化の世界に属するあらゆる日常的なふるまいのうちに、このエネルギーの使用が認められるのであって、結局それらはこのエネルギーの使用によって動機づけられている。たとえば、労働は何千年もの間、マルクスの言っているように「労働の消費」としてその姿を呈してきたのであり、もっとも苛酷なものからもっとも安楽なものまでのさまざまな形態を通じて言えることは、つまるところ、そのうちでその堪え難さの厄払いをするようなものが密かに働いていたからこそ、労働は堪えられたのだ、ということである。(ここら辺はマックス・ウェーバーの「プロテスタンティズムの倫理と資本主義精神」に接近している。管理人注加入。)しかし、そのようなことが言えるのも、労働が生ける実践として、すなわち有機的主体性の諸能力の拡大として、その結果、主体性それ自身とそのエネルギーを最終的に実現するものとして、捉えられているかぎりのことである。 (188ページより、山形頼洋/望月太郎訳、法政大学出版局刊)
 つまりアンリは労働がそのような形で、つまり<主体性それ自身とそのエネルギーを最終的に実現するものとして>機能していはいないと言っているのだ。それは要するに社会という幻想、労働的価値という幻想、あるいは人類の未来という幻想の中に雲散霧消するような個人があたかも崇高な価値に勤しみ、公共的価値へと昇華されるという題目において我々に「生きてゆくことの意味」を得ているかの錯覚に陥らせる価値観という名のミームが知らず知らずに我々に与える行動原理の理性的価値規範であるに過ぎず、我々は「生きる」ことの実在的価値に真に目覚めてはいないということの主張である。そしてアンリは最晩年において「受肉」でキリスト教倫理を、自らの哲学的バックボーンの拠って立つギリシャ思想からの脱却において信仰心というものの持つ可能性に目覚めて回心しているのである。
 その回心の部分に対しては来場者諸氏も賛否両論あろうと私は思う。しかし実際この段になって以降の選択とはある意味では個人史、あるいは人生経験といったものが色濃く反映するものなので、一概にどのような選択を正しく、どのような選択を間違っていると断定することは最早出来ない。我々に出来るのは、ある選択をした個人の何らかの「魂の叫び」のようなテクストの息遣いを読み取ることだけである。
 中島義道もどこかで書いていたが、中島の考えている嫌いな人とか、アベル型の人間という存在は、カイン型を自認する人、あるいは好きな人と一緒に過ごしたいと願っている人にとって、ある意味では恩人である。中島の考えでは恐らくそれは「汝敵を愛せよ」という言説の持つ力をもその一部に持つようなもっと普遍的な考えであろう。
 つまりそういう意味ではフォイエルバッハの持っている無神論的な態度、つまり宗教は神というものに対する意識を人間が備えている以上、あるいは神の完璧に対して理想を抱くという一事をもってしても、神そのものが人間性の一部であり、神概念は人間が作ったものなのだから現世宗教的な教義を離れても、人間の心には本質的に拭い難く存在しているものであり、それは権威とか、正統性への主張という社会的行動へと収斂するものではない、だから自分は無神論であるからだろうが、それすらも宗教的思惟の一つであるという<考え=生き方>である。それに対してアンリはヨハネの言をはじめ、キリスト教教義の中の自分にとって切実な幾つかの部分は、それ自体で説得力のあるものなのだから、それを信仰の糧にしていこうという<考え=生き方>なのだ。そしてその二つの相反するようなスタンスは実は、相互に相互存在を薄々ながらも知りつつ、それを認め、そして自分は自分の道を行くという決意でもある。
 アンリはそもそも「受肉」(2000)に至る十三年前の1988年に「野蛮 科学主義の独裁と文化の危機」を発表している。このテクストは先にも多少触れたが、ガリレイ的地平における統計数値主義に代表される自然科学の猛威が未だ顕在している状況を、芸術の抵抗と、文化の科学的相対化、そしてテレビを通したマスメディアの人間に対する惰性化作用、そして大学の数値目標主義による荒廃的現実などを通して告発した社会的メッセージ色の強いものである。そしてこのテクストの終盤、結語である<アンダーグラウンド>において次のようにアンリは記述している。(同書254ページより)(太字散散選択)  
(前略)メディア的存在が生に提供するのは自己実現ではなくて、逃避である。怠惰がエネルギーを抑圧し、そのために自己自身にずっと不満を抱くようになっている人々に、その不満を忘れさせる機会である。各瞬間に、「力」と「欲望」の新たな高揚のたびごとに、やり直さなければならない忘却。週末の二十一時間をパリ郊外の児童たちは、彼らの教師たちと同様、テレビの前で過ごす。翌日の共通の話題にはこと欠かないというものだ。
 ここにはメディアが大衆各個人の持っている不満とか怒り、あるいは自我的な欲求の表出を巧みに、統制し、隠蔽し、まさに飲み込ませる装置としてメディア、とりわけテレビが作用している現代社会の姿を象徴している。その最たるものが、翌日の生徒同士の話題がテレビによって形作られるという現実である。
 エネルギーという表現が実に重要である。ここでは再び中島義道の一連のかつて引き篭もりをしていた自己自身に対する呼びかけという性質をも持っている、そういう若者や中年、壮年に向けて発せられた自己意識啓発的なテクスト、例えば「怒る技術」に顕著であり、それ以前にも「人生を<半分>降りる」、「「哲学実技」のすすめ_そして誰もいなくなった」、「働くことがイヤな人のための本仕事とは何だろうか」といった作品の中に納められている主張と奇妙にも符号するのである。
 つまり中島の主張とは、日常的な怒りとか不満それ自体は全て正しくも、正しくなくもないが、一番始末が悪いことには、社会は往々にして善良さを全ての市民に強制する。そして怒りを他者に向けないで欲求を抑圧することを社会がよしとして、善人、思い遣りある人という理想を押し付ける。我々の多くはそうして怠惰にも自らの中に巣食う悪を隠蔽しようとする。しかし一旦そのように自我的欲求を抑え込み、飲み込むことで、逆に他者の真実の怒りに対しても鈍感になり、果ては真摯に他者とコミュニケートすることを回避させ、相互の真意を直視することを隠蔽するような大多数の社会的規制に対して鋭く偽善的匂いが立ち込めたものとして告発する。そこにあるのは不健康な善良さという仮面を纏った偽善と、誤魔化しと、人生そのものの理不尽さを忘却させようとする<見えない悪辣な社会権力の策謀>である。しかし勿論中島は自らを反体制の旗手として意識することは終ぞない。それらの叫びは秘めやかに自分自身もまた悪の片棒を担ぐ小さな存在であることを自覚して、自己内の不幸を逆に恩寵として切実な財産であるとして育て、人生そのものの理不尽さを真摯に直視するという主張がある。そこに安易な社会思想家としてではなく、自我論、コミュニケーション論の探求者としての自己表明と、対他的な啓蒙意識が統合されたスタンスが仄見える。
 <見えない悪辣な社会権力の策謀>とはアンリに言わせれば、テレビを筆頭とするマスメディアの垂れ流し的な情報の無反省性である。それはまさに何かを記憶し、記録することを大衆に忘却させる無知化促進の装置である。その危惧に対する告発の果てになされる回心としてアンリはまさに世界最大のミームであるところの自己というものに対して、対話拒否をさせるメディアに唯一拮抗し得る存在として、自己内に巣食う信仰という意識へと読者に対して呼びかける。それは神を人性の顕著な一特質として定義したフォイエルバッハのスタンスを彼なりに一歩進めたものだったのだろう。
 ここで重要なこととは中島の主張にあるように、つまり自らの中に巣食う悪、狡さ、不幸さに眼を瞑らないで、直視し、他者に対して取り繕わないということ、往々にして我々は自らを幸福である振りをし、自らを善良そうに装い、狡いことを隠そうとするし、清らかな他者への思いだけを表明しようとする。しかし夫婦でも、親子でもいいことばかりを示しあうことでは何も先へは進まない。自分の中にある卑怯で、小心な部分を隠蔽し、他者に対する憤りを協調という名の美名でカモフラージュすることをあるいは、アンリは極度に回避したかったのかも知れない。それは論理的思考や思惟にまで適用出来る。例えば神は実在的にはいないかも知れない。しかし神に対しているかも知れないという思い自体はなかなか払拭出来ない。例えば永井均も主張している(「私、今そして神」)が、私たちは「あなたはもし生まれ変わったなら、今度は男性に生まれたいですか、それとも」と言うような問いに極自然に返答するのではないか。それはその返答を他者に与える時点で願望として、神が自分をもう一度別の生として生きる権利を与えてくれたらという思惟そのものを払拭し得ないということを表す。
 それをアンリは敢えて心的実在としての神はいてもよい、いやいなくてはおかしいと感じたのだろうと私は思う。事実フォイエルバッハは無神論をも宗教の一様相であると捉えたが、彼の中には時間すら終わりが来るかも知れないという思いもあったかも知れない。さすればアンリの中にあるある神への信仰心と敬虔に対する晩年の開き直りとは、フォイエルバッハが回答、つまり神の実在へと回答を与えることなく、神の、あるいは神の概念を疑わない人間による神の中にある人性というものに対して「人間がそのように自然あるいは宇宙を完全であると思うことの出来る能力」として認識する可能性に対する示唆を自ら実践する信仰心で返答しようとしたと考えてもあながち間違いではないだろう。だからそれは一哲学者同士の違いというよりは、アンリが先に生まれ、フォイエルバッハが後に生まれても同じような遣り取りがあったかも知れないと私に確信させるようなタイプの神と神の論理に対するけじめなのである。

Thursday, June 21, 2012

時間・空間・偶然・必然_意識という名のミーム<科学で切る哲学、哲学で切る科学> 12.文化とは何か?

 現象学では今日様々な概念がフッサールによって初めて考えられたものとしてクローズアップされている。その一つが衝動であり、あるいは気分であり、雰囲気である。 中島義道はサルトルを「存在と無」で終わっていると考えている(「観念的生活」より)。そう考えている人は少なくないし、事実政治的な行動の目立った後半の彼の歩みは、それはそれで価値のあることなのかも知れないが、一部の純粋哲学マニアには顰蹙を買うものであるのかも知れない。しかし純粋な哲学というものとは果たしてあり得るのか? 中島は「私の嫌いな10の言葉」において「私は人生に後悔などない。」というものを挙げているが、氏によると後悔のないという述懐には、自己欺瞞があると言う。 つまり悔いがあるということは逆に自我論的には「そうであってほしいこと」というのがある程度明確にあるということであり、「そうであってほしいこと」と「そうであること」の齟齬をもその分認知することが出来るということである。だから明確に意志的な願望やら夢があればあるほどその齟齬は大きいということになる。従ってそのために後悔というものは付き物であり、それがないということを表明するということは、大して明確な意志や夢がなかったということでもあるし、そうでなかったなら自己欺瞞があるということでもある(ところで自己欺瞞というのは「存在と無」の重要テーマの一つであった)。 シンガーソングライターの鬼束ちひろの代表作である「月光」は次のような歌詞である。
I am GOD’S CHILD
この腐敗した世界に堕とされたHow do I live on such a field
こんなもののために生まれたんじゃない
突風に埋もれる足取り倒れそうになるのを この鎖が許さない
心を開け渡したままで貴方の感覚だけが散らばって 私はまだ上手に 片付けられずに
I am GOD’S CHILD
この腐敗した世界に堕とされたこんなもののために生まれたんじゃない
「理由」をもっと喋り続けて私が眠れるまで
効かない薬ばかり転がってるけどここには声もないのに 一体何を信じれば?
I am GOD’S CHILD
この腐敗した世界に堕とされたHow I do I live on such a field?
こんなもののために生まれたんじゃない 「理由」をもっと喋り続けて私が眠れるまで
効かない薬ばかり転がっているけどここに声もないのに 一体何を信じれば
I am GOD’S CHILD
哀しい音は背中に爪跡を付けてI can’t hang out this world
こんな思いじゃ どこにも居場所なんて無い
不愉快に冷たい壁とか次はどれに弱さを許す?
最後になど手を伸ばさないで 貴方なら救い出して
ああ静寂から
時間は痛みを 加速させて行く
I am GOD’S CHILD
この腐敗した世界に堕とされたHow I do I live on such a field?
こんなもののために生まれたんじゃない
I am GOD’S CHILD
哀しい音は背中に爪跡を付けてI can’t hang out this world
こんな思いじゃ どこでも居場所なんて無い
How I do I live on such a field?
 こんな筈じゃなかったと言えるということは、「そうであること」と「そうであってほしいこと」とが乖離していることを知っている、つまり理想に現実を近づけることを願望として持っているということである。そして理想を現実に合わせることというのは断念である。例えば我々の言語活動がそうである。それは私的な観想そのものを公的な記号へと置換することによって成り立っている。居場所がないということは、自分にとってもっと相応しい場所を想定しているということである。それは社会から疎外された感じを持っているということであると同時に、実は他でもないこの自分がそういう風に社会から自分を疎外させているということでもある。つまり社会そのものを自分とは相容れないものとして認識しているからである。これは女性の歌詞なので、現代社会の犯罪の激化している現実の上で自分が子育てをこれからしていくことの不安もあるかも知れないが、願望というものが自分の意志と努力によって報われる面と、全くそうではない面というのがあるということから、現実を「そうであってほしいこと」というフィルターを通して見てしまうということが起きるのだ。しかし少なくとも「そうであること」を見据えることからしか全ては始められない。だから最後の方で「こんな思いじゃ どこでも居場所なんて無い」と結論するのである。こんなではない思いをし直して、出直すしかないのである。 だからこの歌は何かを思い切って始められないもどかしさを歌い、歌うことでそこから脱出する意図であるような歌である。それは純粋な幸福、自分の心の中でだけ描いてきた「そうであってほしいこと」の世界から脱出して、より「そうであること」を見つめること、不純な現実と、自らの不幸を直視することから始めることを意志する歌である。
 世の中には中島義道的に不幸な人しかいないのだと言えば、勝者というものもいないということになる。勝者と目されている人というのは何らかの形での敗者であるからこそ、ある分野において勝者であり得るのであり、完璧な勝者、つまり全てにおいて秀でている人というのは恐らく一人もいない。それは世界一の資産家においてもそうであろう。 例えば勝者とは逆に敗者中の典型ということで言えば、世の中には孤立している人というのも大勢いる。政治家の中にもいるだろうし、官僚の中にもいるだろうし、アーティスト、会社員、芸能人、スポーツ選手、学者の中にもいることだろう。
 しかし翻って考えてみると、意外とこの孤立者の心理というものは烏合の衆と共通しているようにも思われる。と言うのも何かに関して自分が孤立しているということを感じる時、明らかにその何かに関してもっと自分に共鳴して欲しいと願うことであるから、必然的に彼(女)にとって「そうであってほしいこと」ということは、大勢の自分に対する信奉者のいる状態であろう。すると必然的に孤立者とはもう一方の烏合の衆たち(尤もその中には寄らば大樹の陰的な意識でそうしている人もいるだろうけれど)同士の相互に一致した状態に対する希求という意味では、同一の集団内での評定という意識を共有していることになる。
 文化とはそのような競争という原理によって何かが文化として定着し、何かが消滅したり、忘れ去られたりする。このことは前節においても示した。それは文化人類学における多文化共生社会という題目に対する懐疑として私は提出した考えである。
 つまり一定の競争的現実、あるものは便利であるから使用するに耐えるが、あるものはよく考えるとあまりよいアイディアでも発明でもないし、使い勝手が悪いから廃るというような熾烈な競争があるからこそ、我々は何かを文化として保存し、重宝し、何かを要らないものとして遺棄してきたのである。それを生物学的に自然淘汰と呼ぶのに抵抗があるとすれば(その内的なメカニズムは相同であるが)文化淘汰と言ってもよい。 日本人は正確に言えば明治期以降只管、脱亜入欧という形で、例えば西欧式の軍隊を採り容れたりアメリカのデューイが考え出した633制とかを採り容れたり、男女同権を実施したり、要するに西欧社会に追いつけ追い越せのスローガンとしてやってきたのである。例えば日本人はアイヌ語とかそれ以外の多くの先住民言語を蔑ろにしてきたし、そのことは今でも変わりない。そういう言語の語彙を習得するくらいなら、英語の単語を一つでも多く学び、それがある程度出来たなら、次はドイツ語、フランス語、更にスペイン語、ロシア語という風に考えることが多いだろう。あるいはそれ以外なら中国語とかハングルとかが大勢を占めることだろう。
 しかしいきなり文化人類学者たちは多文化というものを提唱しようとする。しかしロシアに住むニブヒとかギリヤークといった人々はどれだけ現在使用しているロシア語以上に、自分たちのネイティヴ・ランゲージを使用したいと考えたり、あるいはそういう民族意識を何よりも優先したりしているのかという現実の事実こそが最もそういう運動を展開する上では重要であろう。 例えばアメリカ国内では多くの白人と目される人でも何パーセントかはネイティヴ・アメリカンの血筋も引いているとされる。勿論見た目はかなりネイティヴっぽい人もいるだろうが、純粋なネイティヴの血統というのは意外と少ないであろう。しかしそういう人たちの中でもレザヴェーションにおいて細々と民芸品を作ったり、売ったりして生計を立てている人もいれば、カジノで大成功をしている人もいるという。そして一番重要なこととはそういう先住民文化というものの保存をしようとする場合、そういう立場にいると自覚している人たちがどれだけそのことに意義を見出し、どれだけ情熱を持てるかということであろう。そういうものが希薄な場合、その立場にいない人たちがいくら熱心にそういう運動をしても、却ってその立場の人たちに対して迷惑な場合もあるだろう。
 「私たちのことならそっとしておいてほしい。」
 とか
 「自分たちのことだけを考えていてほしい。」
 という主張もなされるかも知れない。
 文化とは正の部分と負の部分というものはあるだろう。勿論その判定そのものが一定の自分本位の立場によって相対的であるとも言える。
 例えば昨今チベット暴動が世界に飛び火してきたが、この事実はインターネット社会そのものが世界の動向をある衝動へと突発的に突き動かすという側面も多分にある。世界中が一つの意識を共有出来るという幻想が、時々勃発するあのようなタイプの動乱を引き起こすのである。だから一定の文化水準と経済レヴェルのある国の有識者たちが挙って失われつつある特定の文化に対して保存を訴えようとする場合、その失われる当事者の立場を真剣に考える必要はある。そういう余裕のある上から同情するような視線こそが暴動とか自爆テロとかを生み出しているのだということを自覚すべきである。
  現象学において衝動とか気分とか雰囲気という概念がよりクローズアップされているということの現状は、ある意味では私たちが日常的になす意思決定の合理化ということが、従来型の哲学では認識的なカテゴリー、あるいは理性によって判断してきたと考えられてきたものが、その認識や理性を司るものこそ、実はもう一つの衝動であり、気分であり、雰囲気なのであるという考えがあるように思われる。つまりこういうことである。
 人間は人間のその時々の欲求を正当化するために、或いはもっと言えば端的に美化するために法的秩序とか、論理、認識的なカテゴリーを採用してきているのだ、という主張がそこには込められているのである。だからある不愉快な気分とか、ある気分が乗らないそういう気持ちを克服して任務を遂行したり、日常的な摩擦を避けようとしたりするような意思決定の合理化をなすものもまた、そういうもう一つの衝動や気分であり、そしてそのような雰囲気であるとも言える。
 当初現象学はそこまで意識して考えていたのではないかも知れない。しかし少なくとも現象学を継承してきた一連の人々がそのようなものとして捉え直す必要性を感じたということなのである。しかしこの場合現象学の草分けの人々は既にこの世にはいない。だから当該者ということで言えば、ネイティヴ・アメリカンとか少数民族というのとも違うだろう。また現象学者というものを一括りにするほど単純に捉えてもならないだろう。事実ブレンターノ、フッサール、シェーラー、ハイデッガー、サルトル、レヴィナス、メルロ・ポンティー、ミシェル・アンリといった代表的な人たちだけとっても、恐らく全てに共通するものということとなると、いささか漠然として感は否めないだろうから。もしそういう風に一括りにしようとすると現象学の周辺の哲学全部をそういう風に理解しようとすると、完全に実体からは遠く隔たってしまうだろう。
 端的に現象学的還元という作用は「意識のあり方」(このことは15、哲学と科学 において詳しく考える。)を究明するために意識を構成する様々な要素を排除してゆく過程以外の何物でもない。少なくとも「論理学研究」期においてフッサールは堀栄造の言葉を借りれば 
「ここで注目すべき事は、還元によって純粋知覚を形成するまでの過程が段階的に語られているということである。つまり、第一段階で記号的要素を排除し、第二段階で像的要素を排除するという還元の歩みが、語られているということである。したがって、現象学的イデア学の具体的遂行は、意識の上層、中層、下層に順次位置づけられる記号的表象、像を用いた表象、直観的表象という三種の表象の本質的成層構造に基づいて段階的になされるのである。」(「フッサールの脱現実化的現実化」84ページより)ということである。
 そしてそのように排除することによって得られるものを起源とし得るかということとなると、それは幻想である、そんなものは起源ではない、その起源は何故なら全体という認識を得ることの出来る我々の認識を支える言葉に起因しているからだ。つまりある全体を構成している要素という全体から逆算するような認識を認定した上でのその要素間の排除なのだから、当然全体を認識した上で、つまり構築された全体を前提とした恣意的な認識以外のもので、その排除という思考方法そのものがあり得ないと言えるからである。
 それはある程度中島義道の反現象学的立場の考え方でもある(このことは後章においても詳しく論じることとする)。その証拠に中島は「私の秘密 哲学的自我論への誘い」で次のように述べていることからも明白である。(10ページより)
 フッサールは「現象学的還元」について、言葉を屈して説明しています。しかし、「還元する主体が私であるとどうして言えるのか」という問いは封印されたまま、「還元(Reduktion)」は遂行され、現象学的地平が開かれる。つまり、現象学ははじめから「私とは何か」という問いを閉ざすかたちで、すべてが進行していく。現象学の営みそのもの(とくに「還元」)が、「開かれた問題」を閉じる一つの方法だと言えるでしょう。
 しかしここで問題となるのは、では「私とは何か」と問うということそれ自体がどれだけ哲学的に重大であるかということそのものに対する懐疑とか、その問い方そのものの正当性と、適切性自体への問いはまた別問題であるということである。
 例えば永井均は「意識はなぜ実在しないのか」においてデヴィッド・チャーマーズを批判する形で、チャーマーズは意識そのものを実体論的に考究しているが、その意識が私の意識であるということを問うていないと言っているが、では私というものを離れて、誰でも抱く私という観念とは何かと問うことでは恐らく永井の考える私は論じることが出来ない、いやそもそも永井の考えではこのように私ということを言葉にした途端、それは一般化されてしまうのだから、それではチャーマーズが意識一般という形で「意識する心」で述べている意識の物理的還元不能論はある意味でチャーマーズ流の仕方でしかなし得ないということが正当化されるのではないか?つまり中島が現象学の持つ「私とは何か」という問いの不在そのものもまた、現象学的還元においては、そのように問うことそのものをエポケーとしているわけだから、そのように現象学を糾弾することそのものがナンセンスであるということとなる。中島は結局永井の私に対する考究はデカルトを超えていないのではないかと「観念的生活」で述べているが、ではこの「私の秘密 哲学的自我論への誘い」ではまさにそのカルテジアンとしての言及を前提した言述となっている。そのことに中島はどう受け答えするのだろうか? しかしもし中島の主張するような意味で現象学が私をエポケーしているし、そうするしか哲学的解決はなし得ないのであるのなら、現象学は最早哲学という名を借りたそれまで科学が取りこぼしてきた内的意識の問題等を処理するもう一つの科学である、あるいは未来の科学であるべきであるという主張ともなり得るのではないかと言えるのだ。そうなると哲学は最早必要はないということになりはしないかだろうか?
 しかし重要なことは、現象学とはあくまで哲学的命題の果てに辿り着いた意識に対してエポケーを決め込む態度なのであって、科学の一分野として派生したのではない、ということである。しかし現象学が心の科学とでも言うべき様相を呈していることそれ自体はある程度疑い得ようもない。だからと言ってその起源を見れば類似した様相が別のものと似ていてもそれを混同してはいけないということを思い出すべきなのかも知れない。
 そこで類似してきたから最早その類似したもの同士を連結してもよいのではないか、という思念も沸くし、いやそうではない、起源というものと今ある状態との関係というのは大切だということも説得力がある。そこで哲学不要論は正当な問いと言えるのか、それとも科学が現象学に吸収され得るそういう可能性に賭けてみるべきなのだろうか? その問いは実は非常に難しい。と言うのも元来どこまでを科学と呼び、どこからを哲学と呼ぶのかという問いそれ自体が極めて定義づけに困難を極めるからである。つまりその問いを問い続けることそのものがある意味では哲学だからである。そして哲学は仮にどこまでも科学が哲学の領分を解決していったとしても、やはり「哲学は残るのだ」と主張することが出来るような意味で、その哲学的問いを産出することが出来るからである。意識論については後章において詳しく考えるが、我々は意識というものを固有のものとして捉えないことには、生きているということを空しいと感じるような意味で、哲学の存在理由そのものの画然とした存在感そのものを捨象することが出来ないと感じる存在者であるらしいのである。
 だから科学の存在理由に限りない可能性を感じる向きには哲学とは唯一科学に対する言葉の批判なのだから、科学の発展を刺激するものであると捉えても別に間違いではないだろう。そして科学の発展そのものを科学者は信じるだろうが、哲学者は科学の発展そのものを懐疑することも厭わないということだけは確かである。そしてそれは文化としてではなく、哲学的問いとしてのことなのだ。 すると文化とは何かという問いがここで生じることとなる。
 哲学者は、文化とは習慣であるとか、慣習であるとか、制度であるとか考えるかも知れないが、文化が哲学を産んだという側面もやはり否定しようもない。ギリシャ哲学は、ギリシャ文学や音楽、演劇、政治その他諸々の要素から派生した一つの考え方であるからである。すると自我が文化を産んだのか、つまり人間の個々の自我が共同体を産み、その共同体の進化過程において文化が生まれたのか、あるいは自我とはそもそも共同体という秩序が形成される過程で徐々に形成されていったのか、という問題をも派生させることとなるのだ。 この問題から現象学者たちと中島の対立点を浮き彫りにして自我、言語、文化の問題に入っていくこととしよう。 衝動という語彙はフォイエルバッハも使用している。
 「(前略)宗教の発展過程はさらに、人間はますます多くを拒否し、自分自身を承認することがますま多くなるということのなかに成立している。始めは人間は万物を区別することなしに自分の外におく。このことはことに啓示信仰のなかに現われている。後の時代または開けた民族に対しては自然または理性が手渡しするものを、前の時代またはまだ開けない民族に対して神が手渡しする。イスラエル人は、人間がもっているところのまだ非常に自然的な衝動をも_それどころではなくきれいずきの衝動さえ_積極的な神的命令と考えていた。この例からわれわれには同時に再び、人間が自己を拒否することが多ければ多いほど、神はまさにそれだけますます低級になり、且つそれだけますます普通の人間になるということがわかるのである。人間が、最も普通の儀礼が命じることさえ自分で・自分自身の刺激ではたす力と能力を失うときこそ、人間の謙虚さや自己否認が最も徹底するときではなかろうか。」
 衝動をも神の命令と考えていたというイスラエル人の神性への敬虔というものが、果たして現代の現象学が再考する価値のあるものとしてフッサールを衝動や気分といったものにおいて理解する必要性を見いだしていることとどういう関係があるのだろうか? 果たしてフッサールは現代的視座でただ自然科学的な認識を適用するためだけにそのような衝動、気分、雰囲気といった概念を導入したのだろうか? 一面では自然科学とりわけ生理学とかの進化という現実はあっただろうが、彼の心中ではやはりイデア論的な認識、引いては神性への止み難き尊崇というものがあったのではないだろうか?ここでもう一度現象学的還元ということの意味を捉えておこう。