Sunday, January 3, 2010

時間・空間・偶然・必然_意識という名のミーム<科学で切る哲学、哲学で切る科学>1、時間というものそのものの偶然性

 我々が通常時間と言う時、我々は既に空間と協同して何らかの世界秩序を構成するというニュアンスを含めて言うことが多い。しかし空間がその正体を明らかにしているとも、時間がその正体を明らかにしているとも言い難い。
 ただある空間に何らかの動きをする物体がある場合、我々はその動きということの中に時間の一定の推移を読み取り、そこに動きを成立させる場としての空間と、動きを成立させる一定の間隔を時間と読み取るだけのことである。しかし実はその動きを読み取る我々が存在するということが、その空間と時間を成り立たせているということを案外我々は忘れがちである。
 例えばある物体が一定の動きを寸分も違えずに延々と繰り返す、そしてその繰り返しはその都度太陽の周囲に軌道を描き回る地球のような微妙なその都度の誤差さえないような、つまり地球の例で言えば、完全に同一の軌道しか描かないようなタイプの同一の動きを繰り返すようなタイプの、そして永遠にそれをただ繰り返すだけの物体、しかもその物体は一切の変化をきたさないということとそれらを保証する場であるようなケースを我々は果たして変化と変化を保障する空間と呼べるのだろうか?つまり何らの偶然的な物体間の衝突とか、何らかの偶然的な動きの変化のないような固定化されて全く変更のない動きと物体間の関係というようなものを保証するものを果たして時間を有する空間と呼べるのだろうか?
 つまり時間と言う時我々はまず我々、つまり時間という得体の知れない非実体を認識する人間が存在するということ、そしてその我々人間と、それ以外の全ての存在者たちとの間で何らかの関係があり、その関係のあり方は決して常に同一なのではなく、微妙にであっても刻々変化しつつあるということ、そしてその変化というものが完全に法則に従って寸分も常に異なることがないようなことではないということ、勿論概ね同一で仮に法則的なものであっても何らかの偶然的変化というものがあり得るということ、そしてその変化を我々が覚知し得るということ、そしてその変化というものが仮になかったとしても、その変化のなさそれ自体が必ず変化し得る可能性を持っていること、つまり変化しても変化しなくても、そのこと自体が必ず変化し得る可能性と潜在性(つまり偶然)というものに内包されているということ、それらの条件が揃って初めて我々はそういう変化と偶然をきたす場を空間と呼び、それらの変化と偶然を体験する一定の間隔をその変化と偶然を変化と偶然と認識することを可能にする前後にあって、あたかもその一定の間隔を挟み込むように我々に思わせる連なりとして我々を認識させるある空間とはまた別の秩序の場を時間と呼ぶのではないだろうか?
 だから逆に必然的であり、一切の偶然を許容しないで動き、その動きが一切の変更をしないままでいるもの、あるいはし得ないものとは動きではあっても少なくとも変化と呼ぶに相応しいものではないのではないのか?そしてその変更と変化の一切ない固定化された動きだけを延々保証するようなタイプのものは時間とは呼べないのではないだろうか?
 つまり私はあくまで時間とはある動きに対して我々がそれを見ていて、その動きがこの後どうなるか分からないということを含み持つようなこと、つまりある動きそれ自体が「先行きどうなるか分からない」という不確定要素を必ず含み持つようなことそれ自体を時間と呼び、そのどうなるか分からないこと全体を見守る場を空間と呼ぶのではないだろうか?そして空間とは変化のなりゆきそれ自体には干渉しない。
 そもそも我々人間という存在者は延々と同じ繰り返しに耐えられる存在ではないということをもってしても、それだけで既に我々という退屈ということを知り、倦怠を肯定的にも否定的にも認識し得る存在者として成り立っているということをもってしても、我々は物体、及び物体間の変化のない時間と空間、偶発的要素の介在しない時間と空間というものを想定することは出来ない。だから我々が一切いなくて、それでも尚変化そのものなら成立する場というものはあり得よう。しかしその時に時間と空間が成り立つとすれば、必ず我々以外の変化を認識する能力を有する存在者を必要とするとだけは言っておきたい。
 ここで纏めよう。時間とは空間という場で成立する事象の全ての成り行きにおいて、偶然的な展開を許容するような一定の事象間の間隔を保障するものである。そして時間とはその事象そのものが仮に変化せずに延々と反復するにしても、その反復それ自体が、反復しないというあらゆる可能性の中からたまたま自然に選択された結果であるような意味で偶然的なことであると言い得るような物体間の関係と事象の展開を持つということを保証するようなタイプのものである。また空間というものはこの時間の持つ偶然性の目撃者として静観しているようなタイプの場である。

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