Thursday, June 21, 2012

時間・空間・偶然・必然_意識という名のミーム<科学で切る哲学、哲学で切る科学> 12.文化とは何か?

 現象学では今日様々な概念がフッサールによって初めて考えられたものとしてクローズアップされている。その一つが衝動であり、あるいは気分であり、雰囲気である。 中島義道はサルトルを「存在と無」で終わっていると考えている(「観念的生活」より)。そう考えている人は少なくないし、事実政治的な行動の目立った後半の彼の歩みは、それはそれで価値のあることなのかも知れないが、一部の純粋哲学マニアには顰蹙を買うものであるのかも知れない。しかし純粋な哲学というものとは果たしてあり得るのか? 中島は「私の嫌いな10の言葉」において「私は人生に後悔などない。」というものを挙げているが、氏によると後悔のないという述懐には、自己欺瞞があると言う。 つまり悔いがあるということは逆に自我論的には「そうであってほしいこと」というのがある程度明確にあるということであり、「そうであってほしいこと」と「そうであること」の齟齬をもその分認知することが出来るということである。だから明確に意志的な願望やら夢があればあるほどその齟齬は大きいということになる。従ってそのために後悔というものは付き物であり、それがないということを表明するということは、大して明確な意志や夢がなかったということでもあるし、そうでなかったなら自己欺瞞があるということでもある(ところで自己欺瞞というのは「存在と無」の重要テーマの一つであった)。 シンガーソングライターの鬼束ちひろの代表作である「月光」は次のような歌詞である。
I am GOD’S CHILD
この腐敗した世界に堕とされたHow do I live on such a field
こんなもののために生まれたんじゃない
突風に埋もれる足取り倒れそうになるのを この鎖が許さない
心を開け渡したままで貴方の感覚だけが散らばって 私はまだ上手に 片付けられずに
I am GOD’S CHILD
この腐敗した世界に堕とされたこんなもののために生まれたんじゃない
「理由」をもっと喋り続けて私が眠れるまで
効かない薬ばかり転がってるけどここには声もないのに 一体何を信じれば?
I am GOD’S CHILD
この腐敗した世界に堕とされたHow I do I live on such a field?
こんなもののために生まれたんじゃない 「理由」をもっと喋り続けて私が眠れるまで
効かない薬ばかり転がっているけどここに声もないのに 一体何を信じれば
I am GOD’S CHILD
哀しい音は背中に爪跡を付けてI can’t hang out this world
こんな思いじゃ どこにも居場所なんて無い
不愉快に冷たい壁とか次はどれに弱さを許す?
最後になど手を伸ばさないで 貴方なら救い出して
ああ静寂から
時間は痛みを 加速させて行く
I am GOD’S CHILD
この腐敗した世界に堕とされたHow I do I live on such a field?
こんなもののために生まれたんじゃない
I am GOD’S CHILD
哀しい音は背中に爪跡を付けてI can’t hang out this world
こんな思いじゃ どこでも居場所なんて無い
How I do I live on such a field?
 こんな筈じゃなかったと言えるということは、「そうであること」と「そうであってほしいこと」とが乖離していることを知っている、つまり理想に現実を近づけることを願望として持っているということである。そして理想を現実に合わせることというのは断念である。例えば我々の言語活動がそうである。それは私的な観想そのものを公的な記号へと置換することによって成り立っている。居場所がないということは、自分にとってもっと相応しい場所を想定しているということである。それは社会から疎外された感じを持っているということであると同時に、実は他でもないこの自分がそういう風に社会から自分を疎外させているということでもある。つまり社会そのものを自分とは相容れないものとして認識しているからである。これは女性の歌詞なので、現代社会の犯罪の激化している現実の上で自分が子育てをこれからしていくことの不安もあるかも知れないが、願望というものが自分の意志と努力によって報われる面と、全くそうではない面というのがあるということから、現実を「そうであってほしいこと」というフィルターを通して見てしまうということが起きるのだ。しかし少なくとも「そうであること」を見据えることからしか全ては始められない。だから最後の方で「こんな思いじゃ どこでも居場所なんて無い」と結論するのである。こんなではない思いをし直して、出直すしかないのである。 だからこの歌は何かを思い切って始められないもどかしさを歌い、歌うことでそこから脱出する意図であるような歌である。それは純粋な幸福、自分の心の中でだけ描いてきた「そうであってほしいこと」の世界から脱出して、より「そうであること」を見つめること、不純な現実と、自らの不幸を直視することから始めることを意志する歌である。
 世の中には中島義道的に不幸な人しかいないのだと言えば、勝者というものもいないということになる。勝者と目されている人というのは何らかの形での敗者であるからこそ、ある分野において勝者であり得るのであり、完璧な勝者、つまり全てにおいて秀でている人というのは恐らく一人もいない。それは世界一の資産家においてもそうであろう。 例えば勝者とは逆に敗者中の典型ということで言えば、世の中には孤立している人というのも大勢いる。政治家の中にもいるだろうし、官僚の中にもいるだろうし、アーティスト、会社員、芸能人、スポーツ選手、学者の中にもいることだろう。
 しかし翻って考えてみると、意外とこの孤立者の心理というものは烏合の衆と共通しているようにも思われる。と言うのも何かに関して自分が孤立しているということを感じる時、明らかにその何かに関してもっと自分に共鳴して欲しいと願うことであるから、必然的に彼(女)にとって「そうであってほしいこと」ということは、大勢の自分に対する信奉者のいる状態であろう。すると必然的に孤立者とはもう一方の烏合の衆たち(尤もその中には寄らば大樹の陰的な意識でそうしている人もいるだろうけれど)同士の相互に一致した状態に対する希求という意味では、同一の集団内での評定という意識を共有していることになる。
 文化とはそのような競争という原理によって何かが文化として定着し、何かが消滅したり、忘れ去られたりする。このことは前節においても示した。それは文化人類学における多文化共生社会という題目に対する懐疑として私は提出した考えである。
 つまり一定の競争的現実、あるものは便利であるから使用するに耐えるが、あるものはよく考えるとあまりよいアイディアでも発明でもないし、使い勝手が悪いから廃るというような熾烈な競争があるからこそ、我々は何かを文化として保存し、重宝し、何かを要らないものとして遺棄してきたのである。それを生物学的に自然淘汰と呼ぶのに抵抗があるとすれば(その内的なメカニズムは相同であるが)文化淘汰と言ってもよい。 日本人は正確に言えば明治期以降只管、脱亜入欧という形で、例えば西欧式の軍隊を採り容れたりアメリカのデューイが考え出した633制とかを採り容れたり、男女同権を実施したり、要するに西欧社会に追いつけ追い越せのスローガンとしてやってきたのである。例えば日本人はアイヌ語とかそれ以外の多くの先住民言語を蔑ろにしてきたし、そのことは今でも変わりない。そういう言語の語彙を習得するくらいなら、英語の単語を一つでも多く学び、それがある程度出来たなら、次はドイツ語、フランス語、更にスペイン語、ロシア語という風に考えることが多いだろう。あるいはそれ以外なら中国語とかハングルとかが大勢を占めることだろう。
 しかしいきなり文化人類学者たちは多文化というものを提唱しようとする。しかしロシアに住むニブヒとかギリヤークといった人々はどれだけ現在使用しているロシア語以上に、自分たちのネイティヴ・ランゲージを使用したいと考えたり、あるいはそういう民族意識を何よりも優先したりしているのかという現実の事実こそが最もそういう運動を展開する上では重要であろう。 例えばアメリカ国内では多くの白人と目される人でも何パーセントかはネイティヴ・アメリカンの血筋も引いているとされる。勿論見た目はかなりネイティヴっぽい人もいるだろうが、純粋なネイティヴの血統というのは意外と少ないであろう。しかしそういう人たちの中でもレザヴェーションにおいて細々と民芸品を作ったり、売ったりして生計を立てている人もいれば、カジノで大成功をしている人もいるという。そして一番重要なこととはそういう先住民文化というものの保存をしようとする場合、そういう立場にいると自覚している人たちがどれだけそのことに意義を見出し、どれだけ情熱を持てるかということであろう。そういうものが希薄な場合、その立場にいない人たちがいくら熱心にそういう運動をしても、却ってその立場の人たちに対して迷惑な場合もあるだろう。
 「私たちのことならそっとしておいてほしい。」
 とか
 「自分たちのことだけを考えていてほしい。」
 という主張もなされるかも知れない。
 文化とは正の部分と負の部分というものはあるだろう。勿論その判定そのものが一定の自分本位の立場によって相対的であるとも言える。
 例えば昨今チベット暴動が世界に飛び火してきたが、この事実はインターネット社会そのものが世界の動向をある衝動へと突発的に突き動かすという側面も多分にある。世界中が一つの意識を共有出来るという幻想が、時々勃発するあのようなタイプの動乱を引き起こすのである。だから一定の文化水準と経済レヴェルのある国の有識者たちが挙って失われつつある特定の文化に対して保存を訴えようとする場合、その失われる当事者の立場を真剣に考える必要はある。そういう余裕のある上から同情するような視線こそが暴動とか自爆テロとかを生み出しているのだということを自覚すべきである。
  現象学において衝動とか気分とか雰囲気という概念がよりクローズアップされているということの現状は、ある意味では私たちが日常的になす意思決定の合理化ということが、従来型の哲学では認識的なカテゴリー、あるいは理性によって判断してきたと考えられてきたものが、その認識や理性を司るものこそ、実はもう一つの衝動であり、気分であり、雰囲気なのであるという考えがあるように思われる。つまりこういうことである。
 人間は人間のその時々の欲求を正当化するために、或いはもっと言えば端的に美化するために法的秩序とか、論理、認識的なカテゴリーを採用してきているのだ、という主張がそこには込められているのである。だからある不愉快な気分とか、ある気分が乗らないそういう気持ちを克服して任務を遂行したり、日常的な摩擦を避けようとしたりするような意思決定の合理化をなすものもまた、そういうもう一つの衝動や気分であり、そしてそのような雰囲気であるとも言える。
 当初現象学はそこまで意識して考えていたのではないかも知れない。しかし少なくとも現象学を継承してきた一連の人々がそのようなものとして捉え直す必要性を感じたということなのである。しかしこの場合現象学の草分けの人々は既にこの世にはいない。だから当該者ということで言えば、ネイティヴ・アメリカンとか少数民族というのとも違うだろう。また現象学者というものを一括りにするほど単純に捉えてもならないだろう。事実ブレンターノ、フッサール、シェーラー、ハイデッガー、サルトル、レヴィナス、メルロ・ポンティー、ミシェル・アンリといった代表的な人たちだけとっても、恐らく全てに共通するものということとなると、いささか漠然として感は否めないだろうから。もしそういう風に一括りにしようとすると現象学の周辺の哲学全部をそういう風に理解しようとすると、完全に実体からは遠く隔たってしまうだろう。
 端的に現象学的還元という作用は「意識のあり方」(このことは15、哲学と科学 において詳しく考える。)を究明するために意識を構成する様々な要素を排除してゆく過程以外の何物でもない。少なくとも「論理学研究」期においてフッサールは堀栄造の言葉を借りれば 
「ここで注目すべき事は、還元によって純粋知覚を形成するまでの過程が段階的に語られているということである。つまり、第一段階で記号的要素を排除し、第二段階で像的要素を排除するという還元の歩みが、語られているということである。したがって、現象学的イデア学の具体的遂行は、意識の上層、中層、下層に順次位置づけられる記号的表象、像を用いた表象、直観的表象という三種の表象の本質的成層構造に基づいて段階的になされるのである。」(「フッサールの脱現実化的現実化」84ページより)ということである。
 そしてそのように排除することによって得られるものを起源とし得るかということとなると、それは幻想である、そんなものは起源ではない、その起源は何故なら全体という認識を得ることの出来る我々の認識を支える言葉に起因しているからだ。つまりある全体を構成している要素という全体から逆算するような認識を認定した上でのその要素間の排除なのだから、当然全体を認識した上で、つまり構築された全体を前提とした恣意的な認識以外のもので、その排除という思考方法そのものがあり得ないと言えるからである。
 それはある程度中島義道の反現象学的立場の考え方でもある(このことは後章においても詳しく論じることとする)。その証拠に中島は「私の秘密 哲学的自我論への誘い」で次のように述べていることからも明白である。(10ページより)
 フッサールは「現象学的還元」について、言葉を屈して説明しています。しかし、「還元する主体が私であるとどうして言えるのか」という問いは封印されたまま、「還元(Reduktion)」は遂行され、現象学的地平が開かれる。つまり、現象学ははじめから「私とは何か」という問いを閉ざすかたちで、すべてが進行していく。現象学の営みそのもの(とくに「還元」)が、「開かれた問題」を閉じる一つの方法だと言えるでしょう。
 しかしここで問題となるのは、では「私とは何か」と問うということそれ自体がどれだけ哲学的に重大であるかということそのものに対する懐疑とか、その問い方そのものの正当性と、適切性自体への問いはまた別問題であるということである。
 例えば永井均は「意識はなぜ実在しないのか」においてデヴィッド・チャーマーズを批判する形で、チャーマーズは意識そのものを実体論的に考究しているが、その意識が私の意識であるということを問うていないと言っているが、では私というものを離れて、誰でも抱く私という観念とは何かと問うことでは恐らく永井の考える私は論じることが出来ない、いやそもそも永井の考えではこのように私ということを言葉にした途端、それは一般化されてしまうのだから、それではチャーマーズが意識一般という形で「意識する心」で述べている意識の物理的還元不能論はある意味でチャーマーズ流の仕方でしかなし得ないということが正当化されるのではないか?つまり中島が現象学の持つ「私とは何か」という問いの不在そのものもまた、現象学的還元においては、そのように問うことそのものをエポケーとしているわけだから、そのように現象学を糾弾することそのものがナンセンスであるということとなる。中島は結局永井の私に対する考究はデカルトを超えていないのではないかと「観念的生活」で述べているが、ではこの「私の秘密 哲学的自我論への誘い」ではまさにそのカルテジアンとしての言及を前提した言述となっている。そのことに中島はどう受け答えするのだろうか? しかしもし中島の主張するような意味で現象学が私をエポケーしているし、そうするしか哲学的解決はなし得ないのであるのなら、現象学は最早哲学という名を借りたそれまで科学が取りこぼしてきた内的意識の問題等を処理するもう一つの科学である、あるいは未来の科学であるべきであるという主張ともなり得るのではないかと言えるのだ。そうなると哲学は最早必要はないということになりはしないかだろうか?
 しかし重要なことは、現象学とはあくまで哲学的命題の果てに辿り着いた意識に対してエポケーを決め込む態度なのであって、科学の一分野として派生したのではない、ということである。しかし現象学が心の科学とでも言うべき様相を呈していることそれ自体はある程度疑い得ようもない。だからと言ってその起源を見れば類似した様相が別のものと似ていてもそれを混同してはいけないということを思い出すべきなのかも知れない。
 そこで類似してきたから最早その類似したもの同士を連結してもよいのではないか、という思念も沸くし、いやそうではない、起源というものと今ある状態との関係というのは大切だということも説得力がある。そこで哲学不要論は正当な問いと言えるのか、それとも科学が現象学に吸収され得るそういう可能性に賭けてみるべきなのだろうか? その問いは実は非常に難しい。と言うのも元来どこまでを科学と呼び、どこからを哲学と呼ぶのかという問いそれ自体が極めて定義づけに困難を極めるからである。つまりその問いを問い続けることそのものがある意味では哲学だからである。そして哲学は仮にどこまでも科学が哲学の領分を解決していったとしても、やはり「哲学は残るのだ」と主張することが出来るような意味で、その哲学的問いを産出することが出来るからである。意識論については後章において詳しく考えるが、我々は意識というものを固有のものとして捉えないことには、生きているということを空しいと感じるような意味で、哲学の存在理由そのものの画然とした存在感そのものを捨象することが出来ないと感じる存在者であるらしいのである。
 だから科学の存在理由に限りない可能性を感じる向きには哲学とは唯一科学に対する言葉の批判なのだから、科学の発展を刺激するものであると捉えても別に間違いではないだろう。そして科学の発展そのものを科学者は信じるだろうが、哲学者は科学の発展そのものを懐疑することも厭わないということだけは確かである。そしてそれは文化としてではなく、哲学的問いとしてのことなのだ。 すると文化とは何かという問いがここで生じることとなる。
 哲学者は、文化とは習慣であるとか、慣習であるとか、制度であるとか考えるかも知れないが、文化が哲学を産んだという側面もやはり否定しようもない。ギリシャ哲学は、ギリシャ文学や音楽、演劇、政治その他諸々の要素から派生した一つの考え方であるからである。すると自我が文化を産んだのか、つまり人間の個々の自我が共同体を産み、その共同体の進化過程において文化が生まれたのか、あるいは自我とはそもそも共同体という秩序が形成される過程で徐々に形成されていったのか、という問題をも派生させることとなるのだ。 この問題から現象学者たちと中島の対立点を浮き彫りにして自我、言語、文化の問題に入っていくこととしよう。 衝動という語彙はフォイエルバッハも使用している。
 「(前略)宗教の発展過程はさらに、人間はますます多くを拒否し、自分自身を承認することがますま多くなるということのなかに成立している。始めは人間は万物を区別することなしに自分の外におく。このことはことに啓示信仰のなかに現われている。後の時代または開けた民族に対しては自然または理性が手渡しするものを、前の時代またはまだ開けない民族に対して神が手渡しする。イスラエル人は、人間がもっているところのまだ非常に自然的な衝動をも_それどころではなくきれいずきの衝動さえ_積極的な神的命令と考えていた。この例からわれわれには同時に再び、人間が自己を拒否することが多ければ多いほど、神はまさにそれだけますます低級になり、且つそれだけますます普通の人間になるということがわかるのである。人間が、最も普通の儀礼が命じることさえ自分で・自分自身の刺激ではたす力と能力を失うときこそ、人間の謙虚さや自己否認が最も徹底するときではなかろうか。」
 衝動をも神の命令と考えていたというイスラエル人の神性への敬虔というものが、果たして現代の現象学が再考する価値のあるものとしてフッサールを衝動や気分といったものにおいて理解する必要性を見いだしていることとどういう関係があるのだろうか? 果たしてフッサールは現代的視座でただ自然科学的な認識を適用するためだけにそのような衝動、気分、雰囲気といった概念を導入したのだろうか? 一面では自然科学とりわけ生理学とかの進化という現実はあっただろうが、彼の心中ではやはりイデア論的な認識、引いては神性への止み難き尊崇というものがあったのではないだろうか?ここでもう一度現象学的還元ということの意味を捉えておこう。

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